今月の一枚
第3代会長 佐々木 建雄
25年ほど続けてきた日曜画家の作品を毎月一枚紹介し、それに森林インストラクターとしてのコメントを加えてみようというものです。
どうぞ、よろしくおつき合い下さい。
今年の祈りシリーズ、
10月,11月のこの一枚は「夕陽に祈る」と題してお送りします。
彦根市松原の湖岸でのワンショット。
ビワイチウォーキングの途中、秋の夕暮れはつるべ落としと昔から言われていますが、まさにその通り。
西の空に輝いていた太陽は、山の稜線に引きずり込まれるかのようにまたたく間に沈んでしまいました。
折しもウォーキング中の女性が四人、この夕陽をじっと見つめている光景に出くわしました。
荘厳な自然の一こまを、身じろぎもせず見つめるその姿は祈りそのもの。
壮大な自然の営みは、時に大災害をもたらすかと思えば、時に手を合わせたくなるような厳粛な一こまを提供してくれます。
面白いもので、琵琶湖の向こうに沈む夕陽を拝めるのは湖東に住む人々、琵琶湖の向こうから昇る朝日を拝めるのは湖西に住む人々。
これは、地理的、地形的な条件だから当たり前、と捉えればそれまでの話しですが、そこに大いなる何かの力に導かれて住んでいる、というような発想を持てば、人生もひと味違って感じられるのではないでしょうか。
※ 制作の裏側
夕陽が沈む前の明るさと対をなす現象に、逆光によるシルエットがあり、このシルエットが夕陽を描く時のポイントとなります。
今回、四人の人物のシルエットが夕陽の明るさを引き立てているのですが、折角塗った人物の衣装の色彩の上に、暗い色を塗り重ねるのはなかなか勇気が要りました。
(作品データ:水彩F6号 WIRGMAN 透明=W&N)
9月のこの一枚は「憤怒」と題して、不動明王のご紹介です。
憤怒の形相という言葉がありますが、不動明王の表情はまさにそれ。
恐い顔で一睨みされるとすくみ上ってしまいそうです。
しかし、この表情は悪をこらしめるためであって、善男善女にはとても優しい仏様なのです。
大日如来が姿を変えて、衆生を救うために天から遣わされたとも言われています。
湖南市岩根の花園集落の外れにある不動明王は、岩根山(十二坊山)に至る登山道を見下ろす位置にあり、巨大な花崗岩に彫られた摩崖仏です。
江戸初期の作と伝えられ、正式名称は「花園摩崖不動明王尊」。
通称は花園不動、車谷不動として親しまれています。
高さ4.25m、幅2.1m、顔幅0.8mあり、右手に持つ宝剣の長さは2.3m。
谷をはさんで、登山道からもよく見えるのですが、川を渡り近づいて見上げるとかなりの迫力があり、巨大な足で踏みつぶされそうな恐怖感を覚えるほどです。。
※ 制作の裏側
巨大な花崗岩に彫られた不動明王の迫力を感じて貰うには、というのが今回の制作課題でした。
どんな構図が良いのか、どこを強調すれば良いのかなど考えましたが、やはり真下から見上げた構図が良いだろうということになりました。
巨大な足が迫ってくる感覚、いかがでしょうか?
(作品データ:水彩F4号 WIRGМAN 透明=W&N)
8月のこの一枚は「九品浄土の祈り」と題して、栗東市にある「九品の滝」にご案内しましょう。
連日の暑さにウンザリという感じですが、ほんのひと時でも涼しさを感じ、滝のパワーをいただき暑さを乗り切りましょう。
「九品」は仏教用語で「くほん」と読むそうですが、一般的には「くぼん」と濁って発音されているようです。
従って、ここでは「九品の滝」を「くぼんのたき」と読むことにします。
九品とは、仏教の言葉で、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)というお経に書いてある往生の仕方で、上品・中品・下品という分け方と、上生・中生・下生という分け方があり、この組み合わせを九品といいます。
滝は大まかに上段の滝、中段の滝、門滝(下段の滝)に分かれていますが、この滝が上(品)・中(品)・下(品)に分けられ、さらに幾筋かのせせらぎ(生)となっている様を、九品に見立てたものと思われます。
九品のうち最高位を「上品上生」といい、このランクに該当する生き方をした人は、すぐに阿弥陀如来のもとに往けるが、反対に最下位「下品下生」に該当するような悪事ばかり働いてきた者は、即座に地獄送りになるという、いわば人間の生前の生き方に関する通信簿と言えなくもありません。
さて、皆さんの生き方通信簿はいかがでしょうか?
お盆も近いこの時期、一度自分の生き方を見つめてみる良い機会ではないでしょうか。
※ 制作の裏側
実際に九品の滝の現場では、上段の滝、中段の滝、門滝(下段の滝)の全貌を一挙に捉えるのは難しく、いろいろと場所を変えてつなぎ合わせることが必要です。
また水量によって滝の印象はガラリと変わるので、適度な水量の時に見なければなりません。
今回の作品は上段の滝と中段の滝をメインに、下段の滝は一部を表現することで、体裁を取り繕いました。
なお、九品の滝についてより詳しくは、水田有夏志著・近江の滝(サンライズ出版)を参照いただければと思います。
(作品データ:水彩F4号 WIRGMAN 透明=W&N)
今年の祈りシリーズ、
7月のこの一枚は「村の地蔵さん」と題して、三体地蔵のご紹介です。湖南市菩提寺地区の一画、菩提禅寺というお寺の近くに、立派な三体のお地蔵さんが祀られています。
この地域に、天平年間に創建されたとされる「少菩提寺」という大規模寺院があったのが、織田信長に攻められた佐々木六角の敗残兵によって焼き払われ、以後復興することもなく廃寺となり、その跡地に残されていたもの。
大人とほぼ等身大で、三体揃うとなかなかの迫力です。
真ん中のお地蔵さんは鎌倉時代後期、両脇のお地蔵さんは室町時代前期の作であろうといわれています。
お地蔵様は正式には地蔵菩薩といい、いろいろな御利益を授けてくれる仏として親しまれていますが、特に、立場の弱い者を優先して守護する菩薩として知られています。
その通り、地蔵菩薩は子供の守護者としてよく知られているところ。
子どもが親より先に亡くなることは親不孝とされており、幼い子供はその罪のために三途の川を渡ることができず、鬼にいじめられながら河原で、成仏のための功徳をつまなければなりません。
地蔵菩薩は積極的に賽の河原に足を運び、成仏できないでいる子供を鬼から守りながら、功徳を積ませ、成仏に導いていくという説話が知られています。
地元の人々が甲西富士と呼んで親しむ菩提寺山への入口に佇み、地域を見守り続ける三体の地蔵菩薩。その祈りが、子供の健やかな成長とともに、少子化の歯止めにも御利益があればと期待したいところです。
※ 制作の裏側
三体地蔵の迫力をどのように表現するか、というのが今回の課題。
とりあえずは、画面一杯に大きく描くことを心掛けましたが、幸いなことに、住宅の一部が背後に見え、比較対象となったことで、地蔵の大きさを想像していただけるかなと思います。
(作品データ:水彩F4号 WIRGMAN 透明=W&N)
6月のこの一枚は「千年の祈り」と題して、千日回峰行のご紹介です。
比叡山延暦寺に、千年の時を越え今なお伝わる、「千日回峰行」という行は、千日をかけて、比叡の山をひたすら歩き、祈り続けて不動明王と一体化するという荒行中の荒行です。
拠点である無動寺を午前2時に出発。
真っ暗な山の中を、提灯の明かり一つを頼りに、雨の日も風の日も休むことを許されず、ひたすら歩き続けます。
その距離は1日30km。終盤の800日目からは赤山禅院などへの道が加わり60km、900日目からは京都洛中大廻りが加わり実に84km。
とても人間業とは思えません。
さらに、行中のクライマックスは「堂入り」と称す、9日間の断食、断水、不眠不臥の行。
生物学的には生きているのが不思議とされる極限状態で、ほぼ仮死状態になるといいます。
この行を成し遂げて、阿闍梨の称号が授与されます。
そして、晴れて千日満行して大阿闍梨の称号が授与され、御所へのわらじ履き参内が許されます。
満行までの総歩行距離は実に38000km、ほぼ地球一周分だそうです。
※ 制作の裏側
千日回峰行者が山の中で座ることが許される唯一の場所が、玉座と呼ばれる石のベンチ。
蓮台石というそうです。
京都御所から鬼門の方向にあり、御所を臨むことができます。
回峰行者は玉座に座り、玉体(天皇)加持と国家安寧を祈ります。
玉座の横には玉体杉と呼ばれる杉の巨樹が、行者の祈りを見守っているかのようにそびえています。
(作品データ:水彩F4号 WIRGMAN 透明水彩=W&N)
5月のこの一枚は「水辺の祈り」と題して、アオサギのご紹介です。
水辺の岸や浅瀬にじっとたたずみ、水面に目を凝らすアオサギを見ていると、見ようによっては、旅の修行僧ではないかと思えるほど、身じろぎもせず、一心に何かを祈っているようにも見えます。
実際は、餌になる魚がやって来るのを、全神経を集中して待っているのでしょう。
この姿を見ていると、一休禅師の言葉を思い出します。
「今日の山を全力で登る。明日のことは考えない。今日の山に登れば明日が見えてくる」
「なるようになる、心配するな」
先のことを心配するよりも、今日、今を全力で生きなさい。
先のことは、その時にならなければわからないのだから。
と、一休さんは言っているのだと思います。
確かに、過ぎ去った過去の失敗を悔んだり、わからない先のことを思い悩んだりするヒマがあったら、今を全力で生きることにエネルギーと時間を使った方が、理に叶っているのではないでしょうか。
このアオサギを見ていると、まさにそれを地でいっているような感じがします。
この個体に出会った時期は繁殖シーズンであったのか、白い飾り羽でおめかしをしていました。
いや、彼らにとっておめかしなどという意識は毛頭無いはずで、これも命をつなぐ子孫誕生のための自然の摂理。
私達にはうかがい知ることのできない、人智を超えたものなのでしょう。
※ 制作の裏側
アオサギを描いていて気がついたことが一つ。
それは、目(黒目)が驚く程小さい ことです。
獲物を狙うのに、こんな小さな目で見えるのか、と思うくらい小さいですが、実際はどうなのでしょう。
アオサギに訊けばよいのでしょうが、余計なお世話だと叱られそうです。
(作品データ:水彩F4号 WATSON 透明=W&N)
4月のこの一枚、今月は「里の祈り」と題してお送りします。
お多賀さんでおなじみの多賀大社の近く、湖東平野の広がる一画に、かつて12本のケヤキの大木があり、地元の人や通行する人々に親しまれていたそうです。
ところが、樹齢とともに衰弱した木が枯れていき、現在は2本だけが何とか残っている状態です。
作品にしたのは、そのうちの「男飯盛木(おとこいもろぎ、又はいもりぎ)」と名のついた1本で、田園風景のなかにポツリと立っています。
特徴のある樹形で、ぱっと見には、牡鹿が地面に座り首をもたげている、といったところでしょうか。
幹回り6.32m、樹高15m、樹齢推定300年以上とのこと。
地元の人たちにより、大切に保護されているそうです。
言い伝えによると…
奈良時代の養老年間、元正天皇が病気で食欲がなくなって多賀大社に平癒の祈願があった。
神域に生えていたケヤキで作った杓子で強飯を盛って献上したところ、めでたく病気が治ったという。
その杓子を造った残り木を地面にさしたところ根付いてケヤキの巨木となり、飯盛木と呼ばれるようになった…ということですが、奈良時代に根付いたケヤキが樹齢300年ということはないので、残りの1000年は何度か代替わりをしたのでしょうか?
ところで、この牡鹿に似た「男飯盛木」は、何かを祈っているようにも見えます。
すでに枯れてしまった10本の仲間の冥福を祈っているのか、周りの田畑の五穀豊穣を祈っているのか、いずれにしても、多賀大社のおひざ元で、里の平穏無事を祈っていることは間違いないでしょう。。
※ 制作の裏側
この男飯盛木を見に行ったのは、芽吹き前の季節なので、樹形をはっきりと捉えることができました。
葉が繁ってしまうと、牡鹿のような姿として認識できなかったかも知れません。
樹木は葉が繁った盛んな姿が本領なのでしょうが、この男飯盛木に関していえば、葉のない姿の方に軍配をあげたいと思いました。
(作品データ:水彩F4号 MARUMAN 透明=W&N)
3月 のこの一枚、今月の祈りは「子どもの平和」です。
ユ二セフによれば、5歳児未満の子どもに限定しても、世界で2億人もの子どもが栄養不良で苦しんでいるそうです。
そのうちの多くは飢餓、病気により幼い命を絶たれています。
また、戦争や紛争の犠牲になる子どももいます。
世界の栄養・食料事情が話題に上る時、しばしば引き合いに出されるのが日本の食糧事情です。
食料自給率がわずか38%の日本が、足りない分を輸入しながら、一方で、膨大な量の食料を捨てているという、かの悪名高き食品ロスの話です。
年間の廃棄量が何と523万トン。食料を輸入しながら、せっせと捨てている不思議な国と言われています。
我々が子どもの頃は、ご飯一粒でも残したらバチがあたると言われ、食べ物を通じて「もったいない」を叩き込まれたものです。
食べ物を捨てるなどという、もったいない行為は、自らの首を絞めているようなもの。
食品ロス大国の汚名を、一日でも早く返上したものです。
今月の一枚は、野洲市の琵琶湖岸・マイアミ浜で見た1シーンです。
抜けるような青空、コバルトブルーの琵琶湖。
北の方に目をやると残雪の伊吹山、そのはるか手前に沖島が横たわっています。
砂浜では、兄と妹でしょうか、楽しそうに波とたわむれています。
このような平和な風景が、世界中どこへ行っても見られる、などというのは夢物語かも知れません。
しかし、そうなるよう、祈りたいものです。
※ 制作の裏側
快晴の空とコバルトブルーの湖。この二つが水平線でつながっているとどうでしょうか。
境界が青同士で接しているため、単調で処理が難しいと思います。
幸い、今回は空と水面の間に山が横たわっているので、単調な構図にならずにすみました。
琵琶湖の良いところは、周囲が山に囲まれていることです。
(作品データ: 水彩F4号 WIRGMAN 絵の具 W&N)
1月 明けましておめでとうございます。
「今月のこの一枚」を本年もよろしくお願いします。
さて、今年一年、今月のこの一枚のテーマを「祈り」としました。
元日早々能登地方を震源とする大地震が発生し、大きな被害をもたらしました。
これから新しい年が始まるその日の出来事なので、被災地の人々はもちろん、他地域の人にも大変なショックであったのは想像に難くありません。
犠牲になられた方々のご冥福と、被災された方々へお見舞いを申し上げ、少しでも早い復興をお祈りいたします。
さらには、世界平和、地球環境の保全など、人類共通の課題解決に向け、一人一人が祈り、小さな行動につながればと思います。
今年は辰年。龍はその姿から「龍に九似あり」と言われています。
角は鹿、頭は駱駝、目は鬼、体は蛇、腹は蜃(想像上の動物)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ており、長い髭をたくわえ、あごの下に1枚だけ逆さに生えた逆鱗(げきりん)がある。
龍はこの逆鱗に触れられるのが大嫌いで、触れられると激高し、触れたものを即座に殺すと言われています。
今月は龍が天上から降りてきて、世直しをしてくれることを祈りつつ、作品作りをしました。
※ 制作の裏側
龍は伝説の動物なのでこの世にいるわけはなく、いないものが空を飛ぶなどということもありません。
それでも、何とか世直しして欲しくて、ご登場願うことにしました。
雲をそれらしくと思ったのですが、なかなか技術が伴いません。
(作品データ: 水彩F4号 WIRGМAN、 絵の具 W/N )
12月のこの一枚は「草原のファイター」と題して、キジのご紹介です。
日本の国鳥であるキジは、本州、四国、九州に分布し、主に山地、平地の林、農耕地、河川敷など比較的開けた明るい草地に生息しています。
以前、人里近くの畑や空き地で2~3回目撃したことがあります。
エサは主に草の種子、芽、葉など植物性のものと、昆虫やクモなども食べるようです。
意外なことに、飛ぶことは苦手ですが走るのは速く、スピードガンによる測定によれば、時速32キロメートルを記録したそうです。
大きさはほぼニワトリ大。
羽色は多くの種がそうであるように、オスは非常に鮮やかな彩色で本作品の通り。
メスは茶褐色の地色に黒の斑点模様で地味な配色。
オスの鮮やかな羽色は、メスへの求愛のためと、巣にいるメスとヒナを守るため、敵の目を引きつけることにあります。
さて、鮮やかな羽色を以てメスに求愛しても、すげなく振られてしまうケースもままあるようですが、このような状況を「けんもほろろに」という言葉で表現する場合があります。
この表現の元は、実はキジの縄張り宣言である「ケーン」という鳴き声と、両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音をたてる「母衣打ち(ほろうち)」という動作から来ているそうです。
それにしても、キジは国鳥でありながら狩猟鳥であるというところから、猟銃で撃ち殺しても罪には問われない、ということになります。
毎年、わざわざ人工飼育をした個体を放鳥し、狩猟対象にしていることには、ちょっと割り切れないものを感じます。
<キジ:Phasianus versicolor<雉子、雉>>
※ 制作の裏側
制作でいつも苦労するのは、主役を描いた後のバックをどうするか、というところに尽きます。
主役に相応しいバックであることはもちろん、主役を引き立てるバックでなくてはなりません。
今月のキジの場合は、生息環境が開けた明るい草地ということですから、アカメガシワなどの先駆種がまばらにあり、下草が程よく生えているような場所を想定すれば良いのかなと思いました。
(作品データ:水彩F4号 ワトソン 透明=W&N)
11月のこの一枚は「毒の誘惑」と題して、ヨウシュヤマゴボウとハシボソガラスのご紹介です。
ある日、近所の空き地で興味深い光景を目撃しました。
派手な赤紫の幹と枝を自由奔放に伸ばし、枝先に濃いインク色の果実を実らせたヨウシュヤマゴボウの根元で、一羽のカラス実をついばんでいます。
クチバシが太くない、額が出ていないところをみると、ハシボソガラスのようです。
アレ?ヨウシュヤマゴボウは毒草のはずだけど…と思いながら見ていると、カラスは実のついた一房を引きちぎり、そのまま近くの草むらへ持って行ってしまいました。
北米原産のヨウシュヤマゴボウは、全草にサポニンという毒成分を持ち、特に根と種の毒性が強いそうです。
果実を食べたカラスは大丈夫か?
調べたところ、種を取り巻く果肉の部分は毒性が弱く、種を?み砕かなければOKとのこと。
ここにも植物の巧妙な仕掛けがあります。
果肉は鳥に食べてもらい、種は糞と共にあちこちに散布してもらう。
大事な種を噛み砕く不届きものには、中毒死という罰が与えられるというものです。
ヤマゴボウという名前に惑わされ、山菜と勘違いして食べた結果、中毒を起こしたという事例もあるそうなので、和名をつける時に、何とかならなかったのかと思います。
ちなみに、英名はインクベリーだそうですが、この方がしっくりする気がします。
<ヨウシュヤマゴボウ:Phytolacca decandra<洋種山牛蒡>>
<ハシボソガラス:Corvus corone<嘴細鴉>>
※ 制作の裏側
黒一色の鳥、カラス。黒く塗りつぶせば簡単に描けるだろう、とは誰でも思うこと。
しかし、この黒一色が曲者。
昔から女性の美しい髪を「髪はカラスの濡れ羽色」と表現しましたが、まさに水に濡れたようにしっとりとした深味のある黒。
今回は黒の絵の具を使わず、サップグリーン(黄緑)、ウルトラマリーンブルー(群青)、クリムソンレーキ(赤茶色)の三色を混ぜて深味のある黒を作りました。
(作品データ:水彩F6号 マルマン 透明=W&N)
10月のこの一枚は「秋の実り」と題して、ミズナラのご紹介です。
秋の森を歩いていると様々な実りと出合います。
中でも目を引くのは、様々な種類のドングリ。
森の動物や鳥にとって大切な栄養源です。
稲作の始まる前の縄文人にとっては主食であったようです。
クリを含め、ドングリのなる樹木は全てブナ科に分類されていますが、その種類は国内でざっと22種類だそうです。
さて、たくさんのドングリの木の中でも、心惹かれるのは「ミズナラ」。
大きなドングリ、大きく鋭い鋸歯を持つ葉、シルバーグレイが渋い幹など存在感があります。
材は年輪に沿って導管が並ぶ環孔材特有のきれいな木目を有し、材質が緻密で堅いことから、洋風家具やフローリングの材料として珍重されています。
また、ユニークな用途としては、洋酒の貯蔵用樽として、長い時間をかけて芳醇な味に仕上げます。
秋の夜長、ウィスキー片手に読書、それとも音楽?
いや~、下戸の私には、お茶に饅頭か羊羹の方が……。
<ミズナラ:Quercus crispula<水楢>>
※ 制作の裏側
ミズナラの葉の特徴は何と言っても、大きく切れ込んだ鋸歯。
そして、よく見ると、側脈はこの鋸歯の先端に向かって規則正しくほぼ等間隔で並んでいます。
そうなるように、鋸歯の配列を決めてやらないと、整合性がとれなくなります。
自然の摂理の巧みさにはいつも脱帽です。なので、この作業に手間取り、大幅に時間を超過してしまいました。
(作品データ:水彩F6号 マルマン 透明=W&N)
9月のこの一枚は「衣装替え」と題して、ホンドテンのご紹介です。
7月の末近く、猛暑、酷暑の真っ只中でしたが、京都の愛宕山に登らないかと山仲間からお誘いがかかり、ためらいつつも話に乗ってしまいました。
予想通りの悪戦苦闘でしたが、搬送されることもなく、無事下山することができました。
その道中でのこと。登りの行程のほぼ中間辺りで、登山道を横切る小動物と遭遇。
体つき、毛の色からイタチだと思ったのですが、束の間立ち止まってこちらを向いた時の顔は黒っぽい毛の色でした。
また、四本の脚も黒っぽい。
イタチの毛の色にも個体差があるのかな、とその時はそんな感覚でしたが、後で気になり調べてみると、イタチの仲間のホンドテンでした。
ホンドテンは、冬毛は明るい黄褐色で、特に顔は白い毛で覆われているのですが、夏毛は褐色に変わり、顔や四肢は黒く変わります。
ホンドテンは日本固有種で、昔は毛皮が高級襟巻として珍重され、乱獲された時期もあったようですが、現在は保護され、個体数も適正な数値を維持しているようです。
雑食性なので、餌の種類が多く、生存競争には有利なのかも知れません。
野生のテンを見られるなんて、猛暑のなかを頑張ったご褒美でしょうか?
<ホンドテン:Martes melampus melampus<本土貂>>
※ 制作の裏側
今回の愛宕山登山で出遭った動物はホンドテンだけでなく、実はもう一種類いました。
下山は月輪寺というお寺を経由するコースをとったのですが、そのお寺の境内で休憩中、一頭のシカがやって来たのです。
人が居るのも眼中にないかのように、悠々と目の前を通り過ぎていきます。
考えてみれば、これが本来の姿なのかも知れません。
彼らが、自分たちの領域で堂々としているのは当たり前。
よそ者である我々の方が、遠慮しながら、そっと立ち去るべきでした。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
8月のこの一枚は「猛暑に生きる」と題して、オオバヤシャブシのご紹介です。
連日の日照り続きで、植物にも影響が出ています。
水不足で、葉が一枚、二枚と茶色に変色して、痛々しい状態が目につくようになりました。
そんななかでも、元気に成長しているのがオオバヤシャブシです。
乾燥した崩壊地、開けた林道沿いなどで元気に葉を茂らせ、存在感を示しています。
カバノキ科の植物は、遷移の段階でいえば、最初に出現する先駆種で日照を好み、乾燥、ヤセ地に強いという特長を持っています。
特にヒメヤシャブシ、ヤシャブシ、オオバヤシャブシはカバノキ科のなかでも、山地の砂防、緑化という面で大活躍しています。
このように、植物も自分の強みというものを持ち、生態系のなかで何らかの貢献をしているわけですが、我々人間は動くことができ、かつ考える力を持っているにもかかわらず、生態系でどんな貢献をしているのか、と問われて胸を張ることができるでしょうか? むしろ、生態系に入るべきではない?
<オオバヤシャブシ:Alnus sieboldiana<大葉夜叉五倍子>>
※ 制作の裏側
カバノキ科の植物の特徴の一つは、葉脈が多く、くっきりと規則正しくあるため、よく目立ち、とても印象的なことです。
8月の一枚では、その葉脈をきちんと表現することに主眼をおき制作しました。
オオバヤシャブシの葉脈は12~16対あり、その一本一本はすべて絵の具の塗り残しで表現しました。
今、NHK朝のテレビ小説では、牧野富太郎博士をモデルにした「らんまん」が人気ですが、博士が図鑑づくりに描いたスケッチは膨大な数にのぼります。
そのスケッチ作成に使った絵の具は英国の最高級品、ウィンザー&ニュートン社製のものだそうですが、実は今月の一枚で使っている絵の具も同じ銘柄です。
(作品データ:水彩F6号 ケント紙 透明=W&N)
7月のこの一枚は「潜水の匠」と題して、カイツブリのご紹介です。
今年も猛暑の夏と言われています。
「危険な暑さ」という言葉が天気予報やニュースで聞かれるようになって数年、そろそろこの有難くない言葉が定着してきたようです。
そんな言葉も関係ないかのように、涼しそうに泳いでいるのはカイツブリ。
水面から急に姿が見えなくなったと思うと、はるか向こうでひょっこりと姿を現す潜水の匠は、滋賀の県鳥でもあります。
一年中国内で過ごす留鳥なので、カモ類が北へ帰った夏場でも水辺で会うことができます。
カイツブリの古名は「鳰」。琵琶湖に多く生息していたことから、琵琶湖も古くは「鳰の湖」と呼ばれていました。
また、「鳰の浮巣」は、カイツブリがヨシなどの茎を支柱にし、水草や小枝、葉っぱなどをからませて水面に作った巣のことで、俳句の夏の季語にもなっています。
五月雨に 鳰の浮巣を 見にゆかむ 松尾芭蕉
<カイツブリ:Tachybaptus ruficollis<鳰>>
※ 制作の裏側
潜水の得意なカイツブリですから、見ていると、飽きもせず頻繁に潜っています。
今月の一枚は、そんなカイツブリの潜水直後の様子を描きました。
水に濡れて、ボサボサに乱れた羽の様子を表現するのは、結構手間がかかりました!
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
6月のこの一枚は「ヨシ原のおしゃべり」と題して、オオヨシキリのご紹介です。
近江八幡の水郷周辺から西の湖にかけて、県下有数のヨシ原が広がっています。
2006年(平成18年)、この一帯が「近江八幡の水郷」として我が国初の「重要文化的景観」に選定されました。
すだれやよしずなどのヨシ産業等の生業や、内湖と共生する近江八幡の地域住民の生活と深く結びついて発展した風景である文化的景観を形成している、というものです。
この文化的景観に溶け込んで暮らしている生き物の代表格が、オオヨシキリです。
初夏に日本にやって来る夏鳥で、ギョギョシギョギョシとさえずる声がかしましく、漢字で「行々子」と書くと、ヨシキリを表し、俳句の夏の季語としてよく使われているそうです。
行々子 口から先に 生まれたか と小林一茶も句を作っています。
今の時季、水郷巡りでもすると、ギョギョシギョギョシの声のシャワーを浴びることうけ合いです。
<オオヨシキリ:Acrocephalus orientalis<大葦切>>
※ 制作の裏側
ヨシ原に広がるヨシが、吹き抜ける風にゆらゆら揺れている様を表現したいと思い、画面のバックをぼかしてみました。
ギョギョシギョギョシの声のバックに、ヨシの葉のすれ合う音を想像していただけると幸いです。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明水彩=W&N)
5月のこの一枚は「八十八夜」と題して、茶畑のご紹介です。
~夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る・・・~
もう何年も前のことですが、甲賀市土山町頓宮という変わった地名と、広大な茶畑の景観に魅かれてスケッチをした覚えがあります。
丘陵地の地形を巧みに利用して、幾重にも連なるかまぼこ型の畝が、はるか彼方まで続いています。
土山は東海道五十三次49番目の宿場町。
背後に最大の難所、鈴鹿峠を控えています。
その鈴鹿峠をこれから越える人、越えてきた人達が、土山のお茶一服で士気を高め、疲れを癒していたことでしょう。
「最澄が伝え、栄西が広め、利休が完成させた」と、どこかで聞いたフレーズですが、実はこれ、お茶の長い歴史を最短で表現したもの。
唐での留学を終えた最澄が持ち帰ったお茶の種を、比叡山麓に蒔いたのが、日本で最初のお茶栽培とされています。
が、この後は広く普及とはならず一旦頓挫したのですが、後に宋から栄西が持ち帰った種が各地に広がり普及して行った、というのが定説となっているようです。
京阪石坂線の滋賀里駅より山手方向に15分ほど登って行くと、集落の外れの畑に「日本茶発祥の地」と書かれた、手作りの小さな看板が立っています。
※ 制作の裏側
きれいな若葉の茶畑も、同じ色が広がるだけでは単調になってしまいます。
何かアクセントは、と見渡すと、錆びたトタン屋根の小屋がポツンと一軒。
主役にはなれないが、主役を引き立たせる小物が何か欲しい、というケースが絵を描く場合よくあることです。
今回は、錆びたトタン屋根がいい仕事をしています。
(作品データ:水彩F4号 COTMAN 透明=W&N)
4月のこの一枚は「抗議の目」と題して、ホンドギツネのご紹介です。
つい最近のことですが、湖南市にあるウツクシマツの自生地に行った時のこと、すぐ近くの山を切り開いて造成された住宅地を通り過ぎるべく、車を徐行させていると、茶色の動物が前を横切って行きました。
最初は犬かなと思ったのですが、尻尾が異様に太い。
キツネだ!
そっと近づいてみると、草むらからじっとこちらをうかがっています。
5秒間くらい目が合っていたでしょうか、やがて太い尻尾を揺らしながら藪に入って行きました。
山を削った造成地のそばにいたということは、かつてそこは彼の縄張りだった可能性が高く、縄張りを狭められたがために、住宅地に餌をあさりに来ていたのかも知れません。
最近の開発工事現場を見るにつけ、山の形が変わるほどの規模の大きさに違和感を覚えると同時に、節操のなさに怒りさえ感じます。
去る3月28日に亡くなったミュージシャンの坂本龍一氏が、明治神宮外苑の再開発に抗議して次のようなコメントを寄せています。
「樹々は差別なく万人に恩恵をもたらすが、開発は一部の既得権者と富裕層だけに恩恵をもたらす」
あのキツネの目も、そんなことを訴えていたかのようでした。
<ホンドキツネ:Vulpes vulpes japones<本土狐>>
※ 制作の裏側
キツネの目は、瞳孔がネコと同じく縦長であるのが特徴だそうです。
ヒトを含む多くの哺乳類は瞳孔が丸く、従って、動物の顔を描く時はその点に注意しなければ、らしさを表現することができません。
今回は、太い尻尾と縦長の瞳孔で、キツネらしさを感じていただけたら幸いです。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
3月のこの一枚は、「旅立ちの前」と題してコハクチョウのご紹介です。
一昨年だったか、湖北に山本山のオバアチャンことオオワシを見に行った時のこと。
お目当てのオオワシは、狩りにでも出たのか見られませんでした。
しかし、山のふもとの田んぼに、おびただしい数のコハクチョウが群れているのに遭遇。
慌ててシャッターを押しました。
白い優雅な姿から、白銀の使者などの呼び名もあるようで、見る者に癒しを与えてくれます。
とりわけ、体の大きさに比べると、ゴマ粒にしか見えない小さな目がひときわ愛くるしさを醸し出しています。
そんなことで、全国の飛来地では、保護団体が周囲の環境整備をし、見守りを続けているようですが、気になるのは餌やりをすること。
コハクチョウの餌は、主に水草や田んぼの落穂などであるのに、餌やりのエサはパン切れやスナック菓子など加工食品。
それでもコハクチョウにとっては労せずして餌にありつけるので、喜んで食べるのだとか。
しかし、添加物の入った人間の食べ物が野生動物によいわけがありません。
健康を害したり、パンがノドに詰まったりして死んだ例も多いようです。
また、餌をもらうことに慣れてくると、自分で餌を探すという野生の本能まで失われてしまいます。
人間の都合で、可愛いからとか、観光の目玉だとか、勝手な理屈で保護しているつもりが、実は、野生動物を窮地に追いやっていることに気がつかないのでしょうか!
このことは、声を大にして言いたい。
もうコハクチョウ達は北へ旅立って行ったことでしょう。
道中無事を祈りたいものです。
<コハクチョウ:Cygnus columbianus<小白鳥>>
※ 制作の裏側
コハクチョウの群れに、一羽だけ灰色の個体が見られました。
最初は、違う種類が紛れているのかと思いましたが、調べてみると、成鳥になる前の若鳥は灰色とのこと。
コハクチョウの成鳥を描くには、白の画用紙を塗り残し、薄い影をつけるだけなのですが、この若鳥だけは、ためらいながら灰色を塗りました。
(作品データ: 水彩F4号 WATSОN 絵の具 W&N)
2月の この一枚は、「寒と春共演」をご紹介します。
今の季節、琵琶湖大橋の東詰めから湖岸をほんの少し北上すると、鮮やかな黄色が目に飛び込んできます。
守山市シルバー人材センターの皆さんが、ボランティアで育てた菜の花畑です。
咲いているのは、カンザキハナナ(寒咲花菜)という名前で、アブラナ科の極早生品種だそうです。
目の前に広がる黄色い絨毯から少し視線を上げると、向こうに雪を戴いた湖西の山々が。まさに寒と春の競演です。
ところで、大津市上田上では、菜の花を塩漬けして、発酵させてから食べる食習慣があるそうです。
適度な酸味と塩味、そして菜の花特有の苦味とが相まって、熱々の白ご飯に載せて食べると食が進むとのこと。
さて、滋賀で発酵食品といえば何といっても鮒ずしですが、その他にも鯖街道沿いには鯖の馴れ寿司やへしこなどがあり、滋賀(特に高島市)は発酵文化の中心とも言われているようです。
菜の花漬けから発酵食品に話が飛びましたが、今年は菜の花漬けも食卓にあげ、腸活から免疫力を高め、健康増進を図りたいものです。
<カンザキハナナ:Brassia rapa<寒咲花菜>>
※ 制作の裏側
作品の構図としては、手前に広がる黄色い菜の花畑。後方に雪を戴いた比良連峰。
絵になる構図ではあるのですが、何か物足りない。
そんな時、画面左の方から親子連れが…。
母親と手をつなぐ子のピンクの衣装がピタリと風景にはまり、めでたく作品完成となりました。
この親子に感謝!
(作品データ: 水彩F4号 ワーグマン 絵の具 W&N)
1月 明けましておめでとうございます。
今月のこの一枚コーナー、今年もよろしくお願いします。
1月のこの一枚は「飛躍」と題して、干支のウサギを描きました。
ウサギにも多くの種類があるのですが、ここではノウサギを取り上げました。
正式和名は二ホンノウサギです。
ウサギは多産なので、豊穣、子孫繁栄のシンボルだそうです。
二ホンノウサギは、北海道を除く日本列島の野山に分布する小型哺乳類で、食物連鎖の低位にいます。
そのため、備わった身体的特長で際立っているのは、大きくて立派な耳、長い強力な後ろ脚です。
食物連鎖の低位にいるということは、被捕食者、つまり食われる立場なので、捕食者の接近をいち早く察知し、捕食者より早いスピードで逃げることが何より重要です。
ちなみに、二ホンノウサギが全力疾走すると、時速70kmくらいのスピードが出るそうです。
これは、一般道路を走る車を、少し上回るスピードということになりますね。
脱兎のごとく、という表現がありますが、まさに逃げるウサギの速さに例えたもの。
大正3年に、快進社という会社がはじめて製造した乗用車につけた名前が「脱兎号(DAT CAR)」だったそうです。
その後、いくつもの変遷を経て、日産自動車がダットサン(DAT SUN)という商標で乗用車を製造するようになりましたが、ルーツは脱兎号です。
脱兎の如く勢いで、太陽に向かって走るイメージでしょうか。
色々と目標を持っておられる方々にとって、卯年が飛躍の年になりますように。
<ニホンノウサギ:Lepus brachyurus<日本野兎>
※ 制作の裏側
ウサギの数え方は、一匹、二匹…ではなく、一羽、二羽…と習ったような記憶があります。
鳥でもないのに何故か?この際、調べてみることにしました。
色んな説があって、これという決定的なものはないようですが、有力とされる説で、仏教では四足の動物を食すことを禁じられていたため、二本足で立つことのあるウサギを鳥であるとこじつけて食べたのだとか…(-_-;)
(作品データ: 水彩F4号 マルマン、 絵の具 W/N )
12月 の この一枚は「山岳の雄」カモシカです。
カモシカは日本固有の山岳有蹄類で、急峻な地形に住むため、他の種との交雑があまりなく、原始の姿を今に残し、かつて多くの生物が絶滅した氷河期を生き残り、日本列島に遺存的に残る貴重な動物です。
しかし、良質の毛皮がとれ、高価で取引できることと、肉の味が良いことで乱獲が進み、一時は「第二のトキ」になるのではないか、と危ぶまれるまでに個体数が減少しました。
そのため、昭和30年に特別天然記念物に指定、保護されるところとなり、個体数も増加、絶滅の危機は逃れたようですが、新たに林業被害の発生という、害獣としての面ものぞかせるようになり、保護と駆除について折り合いをどうつけるか、悩ましい一面もあります。
多くの野生動物がそうであるように、人間の勝手な都合だけで保護だ駆除だと論争が続けられていますが、共存という折り合いをつけるためには、人間が大きく譲歩という形をとらないと折り合いはつかないと思います。
STDGS、2030年問題を声高に言っていますが、我々の生活スタイルを大幅に変える覚悟があってのことでしょうか!
この一年、ありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。
<ニホンカモシカ:Capricornis crispus<日本氈鹿 日本羚羊>
※ 制作の裏側
カモシカの定番ポーズといえば、崖の間から、あるいは雪に覆われたブナ林から、じっとこちらを見つめる立ち姿というイメージがあります。
今の季節からいえば、やはり雪ということになりますかね。
鈴鹿山系のどこか、雪の積もったブナ林でカモシカに出遭った、そんな場面を想像してみて下さい。
(作品データ: 水彩F4号 マルマン 透明=W/N)
11月のこの一枚は「森のドラマー」キツツキのうち、オオアカゲラのご紹介です。
比叡山延暦寺の荒行の一つ、千日回峰行のクライマックスである堂入りが行われるのが無動寺明王堂。
9日間不眠、不臥、断食で、ひたすら護摩を焚き経を唱える、死と隣合わせの修行です。
数年前、そのお堂の庭で、周辺を写真撮影していた時の事。
突然ケケケケッという鳴き声と共に、黒い影が頭上の枝に止まりました。
空が背景で黒いシルエットにしか見えなかったのですが、次の瞬間前方のヒノキに飛び移り、キツツキであることが判明。
しかも頭には赤い帽子。
普段はなかなか見ることのできないオオアカゲラでした。
慌ててカメラを向けるも、ピントがなかなか…。
写真を一枚撮る間だけ時間の猶予をくれて、どこかへ飛んで行ってしまいました。
束の間の逢瀬でもよしとしましょうか。
<オオアカゲラ:Dendrocopos leucotos 大赤啄木鳥>
※ 制作の裏側
比叡山が、ある事柄で天然記念物に指定されているのは、あまり知られていないのではないでしょうか。
ある事柄とは、寺域一帯830万㎡が「比叡山鳥類繁殖地」として、昭和5年に指定されていること。
このような場所だからこそ、なかなか見ることのできないオオアカゲラに出会えたのかな、と幸運に感謝しながら今月の一枚を仕上げました。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
10月のこの一枚は「小さな暴れん坊」モズのご紹介です。
深まりゆく秋の日、のんびり散歩をしていると、突然空気を切り裂くような鋭い鳴き声にビックリすることがあります。
おなじみの「モズの高鳴き」です。
餌が乏しくなってくる秋から冬に向けて、餌場を確保するための縄張り宣言であり、日本の秋になくてはならない要素の一つといえるでしょうか。
そして、モズで忘れてならない習性がもう一つ、「ハヤニエ」。
数年前のこと、庭の金木犀の小枝に見慣れない異様な物体を発見。
近づいて 一瞬ギョっとしました。血の色も生々しい小魚が突き刺してあるのです。
魚クンの駄洒落ではないですが、ギョギョ!!です。
しかし、モズにカワセミの真似ができるとは思えませんし、どうやって魚を獲ったのか?
後で調べてみると、どうも浅瀬に寄って来る魚を岸辺の石の上などで待ちかまえ、狩るようです。
<モズ:Lanius bucephalus 百舌、百舌鳥、鵙、鴂>
※ 制作の裏側
森林インストラクターの資格試験で二次まで進むと、実技が課されます。
試験官が準備したいくつかの題材の一つを選び、制限時間内に選んだ題材のプレゼンをする、というものです。
私が選んだ題材が、実は「モズ」でした。
秋の里山で自然観察中、モズの鳴き声が聞こえたので、参加者にモズについて説明をするという設定で行いました。
今月の一枚を制作しながら、もう20年近く前の試験のことを、懐かしく思い出しています。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
9月のこの一枚は「森のランチ」と題して、二ホンリスのご紹介です。
9月に入ると、さすがに朝夕は冷気も感じられ、熱中症アラート級の暑さは影をひそめてしまったようです。
これから秋本番を迎えると、食欲の季節。
森の動物たちも、秋の実りを享受することでしょう。
好天に誘われ、湖南アルプス自然休養林などを歩いていると、時々、遊歩道を横切るリスに出遭うことがあります。
素早く茂みに隠れてしまうので、じっくり観察するわけにはいきませんが、時として彼らの食事の痕跡を観察することができます。
アカマツの木の下では、マツボックリの破片が散乱したなかに、通称「エビフライ」といわれるマツボックリの芯が数多く見られます。
また、オニグルミの木の下では、リスの硬い歯によってきれいに割られた、クルミの殻をたくさん見ることができます。
脂肪分を多く含み栄養価の高いオニグルミの実は、リスにとって重要なエネルギー源となりますが、反面、オニグルミにとっては、種子散布の面で、リスが重要な役割を果たしています。
リスに貯食行動があるのはよく知られていますが、この貯食されたオニグルミの実の何パーセントかは食べ忘れられ、発芽するので、結果的に、リスは種子散布に貢献していることになります。
さて、今年の森の実り具合は如何に!
<ニホンリス:Sciurus lis 日本栗鼠>
※ 制作の裏側
食事中のリスの様子を、じっくり見られるチャンスは滅多にありません。
そこで、その様子を描くのに参考になるのが動画。
今はユウチューブという便利なものがあり、大抵のものは見られます。
ある高名な日本画家は小鳥や小動物を家で飼って、その生態をスケッチし、絵に描き起こしていたそうですが、生き物を題材にするには、それくらいの努力が必要とされるのですね。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
8月のこの一枚は「トロピカルワールド」と題して、アカショウビンとツチアケビのご紹介です。
滋賀会の定例研修で、数年前「はごろも塾」という粋な名前の自然観察会がありました。
羽衣伝説で有名な余呉湖。
その北端からほぼ3km東に菅山寺という、菅原道真ゆかりのお寺がありますが、その境内を含む一帯の森の観察をしていた頃のこと。
その菅山寺の境内に朱雀池という名の池があり、夏になるとアカショウビンが渡って来るということで、野鳥愛好家にはおなじみの場所でした。
実際、飛来を待って、カメラをセットしている人たちの姿を見たこともあります。
残念ながら、観察中にその姿を見ることはできませんでしたが、その代わり、池の畔で奇妙なものを見つけました。
植物のように地面から生えているのに、緑の色素を全く持たず、全体が橙色をした花期のツチアケビです。
周囲の緑からは浮いた感じで、まるで熱帯地方の花を見ているよう。葉緑素を持たないので光合成できず、他の植物に寄生して生きています。
この橙色のツチアケビと、大きな赤いクチバシのアカショウビンを組み合わせると、まさに朱雀池畔がトロピカルワールドになったような景色を想像できます。
ヒュー(キョー)ロロロロ~と、涼しい鳴き声が聞こえてくるようではありませんか!
<アカショウビン:Halcyon coromanda 赤翡翠>
<ツチアケビ:Cyrtosia septententrionalis 土通草、土木通>
※ 制作の裏側
8月のこの一枚、アカショウビンを描くにあたって参考にさせていただいたのは、長浜市の地域情報誌「みーな」の2016年10月発行版の表紙の写真です。
木の枝でじっと獲物を狙っているアカショウビンのクチバシと脚がひときわ鮮やかで印象的です。
ツチアケビは実際に「はごろも塾」で観察したまま、自前の写真を参考にしました。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
7月のこの一枚は「涼」と題して、カワトンボとカジカガエルのご紹介です。
暑いですね~!猛暑の連続、いかがお過ごしでしょうか?
これほど暑いと、出かけるのも嫌になりますが、涼を求めて水辺を散策というのはいかがでしょうか。
米原市にある東洋一といわれる養鱒場を通って流れる宗谷川に沿って、上丹生の集落まで醒ヶ井峡谷が延びています(渓谷ではなく峡谷です)。
山紫水明、国の名勝に指定されています。
鈴鹿山系霊仙山に源を発するきれいな水を求めてやってくるのはカワトンボ。
黒っぽい羽根をヒラヒラと、優雅に水辺を飛ぶ姿は見ているだけで涼しさを感じます。
宝石のように美しい、メタリックな瑠璃色の胴体を持つこのトンボ、実はカワトンボの中でも最大のミヤマカワトンボが正式名称です。
そして、石に貼りつくように、じっと動かないでいるのはカジカガエル。
とてもカエルとは思えないような美声で鳴くので、清流の歌姫などという呼び名もあるそうですが、実際に鳴くのは姫ではなく、オスが求愛のために鳴いているのです。
和名に河鹿の漢字をあてるのは、鳴き声が鹿に似ているからと言われています。
清流でミヤマカワトンボの優雅な姿を目にし、カジカガエルの美しい鳴き声を聴いて、つかの間、暑さを忘れましょう。
<ミヤマカワトンボ:Calopteryx corneria 深山川蜻蛉>
<カジカガエル:Buergeria buergeri 河鹿蛙、金襖子>
※ 制作の裏側
トンボ、カエルなどの小動物は、大自然の中ではとても小さな存在であり、大自然をバックに表現しようとすると、画面上では点のような大きさにしかなりません。
そこで、あえて、他の自然物との大きさの比率を無視して描くことになります。
今月の一枚も、画面上の比率を自然の大きさにすると、現実にはあり得ない巨大トンボ、巨大カエルが出現することになります。
この表現方法が許されるのかどうかわかりませんが、便法の一つとしてご了承いただければ幸いです。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
6月のこの一枚は「トンビ」と題して、猛禽・トビのご紹介です。
♪夕焼け空が真っ赤か~ トンビがくるりと輪をかいた ホーイのホイ…。
三橋美智也の「夕焼けトンビ」の出だしです。
子どもの頃聞いた懐かしい曲ですが、情景が目に浮かぶようです。
トビは、昔からトンビの名で親しまれている、人間社会に身近な野鳥です。
トンビに油揚げをさらわれる、という言葉があるとおり、トビは猛禽でありながら、雑食に近い食性を持っているようです。
以前、琵琶湖畔で弁当を食べているとき、いつの間に背後に忍び寄ったのか、急襲を受け、弁当を取られそうになったことがあります。
また、大文字山の山頂で、一緒に登った仲間がサンドイッチを強奪されたこともありました。鴨川では、観光客が投げるパンくずに、カモメに混じってトビも寄って来るそうで、トビよ猛禽の誇りを持て!と嘆く野鳥愛好家もいると聞きました。
利用できるものは何でも…の精神でなければ、野生で生きていくのは難しいのでしょうね。
<トビ:Milvus migrans 鳶>
※ 制作の裏側
守山市の「芦刈園」というアジサイ公園に行ったときのこと、アジサイを楽しんで、ベンチで休憩中にふと目を上げると、水辺のネムノキにトビが羽を休めていました。
ということで、主役をトビに、背景にネムノキの葉をあしらったのですが、出来上がりを見ると、煩雑なバックになってしまい、主役よりそちらに目が移ってしまいます。
マメ科のような、小葉の多い葉っぱは扱いに気をつけなけつけなければ、と勉強になりました。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
5月のこの一枚は「巣立ちの季節」と題して、ヒヨドリ親子のご紹介です。
ある日外出から帰って、玄関の扉前に立ったとき、足元で何かがバタバタと暴れているような、そして慌てて逃げて行くような何かを目撃。
バタバタがおさまってよく見ると、ガレージの隅っこに鳥のヒナがちょこんと立っていました。
まだ満足には飛べない様子で、ジッとしています。
するといきなり、 隣家のマテバシイの枝にヒヨドリが来て、キーキーとかん高い声で鳴きます。
ひなが巣から落ちたのか、巣立とうとしているのか…。
どうも親鳥が、巣に戻るよう鳴いて促しているようにも見えます。
こういう時、人間が親切心からヒナを巣に戻したりすると、親鳥は、人間の匂いのついたヒナを世話しなくなることもあるそうで、そっと見守るしかないということです。
しかし、いつまでも見ていると親が警戒してヒナに近づけないので、家に入ることにしました。
しばらくしてから、そっとその場をうかがうと、ヒナの姿も親鳥の姿も見当たりませんでした。
カラスなどに襲われず、無事巣に戻るか、安全な場所に移動していたら良いのですが。
<ヒヨドリ:Hypsipetes amaurotis 鵯・白頭鳥>
※ 制作の裏側
このヒヨドリ親子に出合った時は、運よくカメラを持って外出した日でした。
ヒナも親鳥もその場を動かずにいてくれたお陰で。
うまく写真に収めることができ、作品づくりがスムーズにいきました。
絵を描くのに、カメラに頼り過ぎるのは駄目ですが、ゆっくりとスケッチなどさせてくれない野生動物は、どうしてもカメラ頼みになってしまいます。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
4月のこの一枚は「色彩の魔術師」オシドリのご紹介です。
京都市西京区桂坂に「桂坂野鳥公園」があり、ここでオシドリが見られると聞き、以前、上桂から亀岡に抜ける間道・唐櫃越(からとごえ)を歩いたついでに寄ってみることにしました。
大規模な住宅地の一画にある広い公園です。
観察室に備えてある双眼鏡をのぞくと、池の奥の方に何羽かのオシドリを見ることができました。
はじめ て見る野生のオシドリに興奮したものです。
以前から疑問に思っていたのですが、オシドリのオスの派手な衣装はよく目立つので、天敵にねらわれやすいのではないか、と。
しかし、理由はそれなりにあるもので、もちろん、メスへの求愛のためということもあるのですが、巣が天敵に襲われたとき、よく目立つオスがおとりになって敵を引き寄せ、巣から遠ざけるためには、よく目立つ方が有利と言えます。
色彩のきれいさ故に、パッと見には置物のようで、あまり野生の感じがしないオシドリのオスですが、いざ事が起きれば、自分の身を挺して家族を守ろうとする姿勢はまさに野生のもの。
伊達や酔狂で美しく装っているのではない、と納得しました。
<オシドリ:Aix galericulata 鴛鴦>
※ 制作の裏側
本文でも書きましたが、オスがカラフル過ぎて置物のようにならないよう、動きのあるポーズを狙いました。
そのため、水鳥ながら、水に浮いている静のポーズより陸に上がってメスに寄り添っているポーズの方が良いかと。
また背景の水面も、ゆらゆらとうねっている状態を描き、動きを強調する効果を狙いました。
(作品データ:水彩F4号 WATSОN 透明=W&N)
3月のこの一枚は、「野原の暴れん坊」と題して二ホンイタチのご紹介です。
散歩の途中、あぜ道や川の土手などで何度か出くわしたことがあります。
きれいな茶褐色の毛皮なので、割と目につきやすいようです。
つぶらな目をした愛くるしい顔をしていますが、実は非常に凶暴な性格で、養鶏場のニワトリやノウサギなど自分より大きい相手を襲ったりします。
何でも食べる雑食性ですが、主な餌はネズミなどの小型げっ歯類、カエル、小鳥、昆虫などで、ほぼ肉食獣といってもよさそうです。
一度、カエルをくわえているのを見たことがあります。
逆に天敵は猛禽類。
どちらかというと、人間にとっては困りものの一面を持っていますが、かつては、毛皮のために捕獲され生息数が減ったことも。
また、外来種であるチョウセンイタチが生息数を増やし、二ホンイタチを圧迫しているという報告もあり、この見た目愛くるしい暴れん坊の生息環境も、やはり厳しいようですね。
<ニホンイタチ:Mustela itatsi 日本鼬>
※ 制作の裏側
今回、初めて鳥以外の動物に挑戦しました。
イタチの美しい茶褐色の毛並みと、愛くるしい表情の裏側にある凶暴性が表現できれば、と思って描いたのですが、評価はいかがでしょうか?
(作品データ: 水彩F4号 WATSОN 絵の具 W&N)
2月今月のこの一枚は、「里の猛禽」と題してご紹介します。
厳寒期に珍しい小春日和、散歩コースで用水路の橋の欄干にとまる見慣れぬ鳥を発見。
あわててカメラを取り出し、ズームを最大にして撮った写真と図鑑を対照してハヤブサ科の「チョウゲンボウ」と判明。
鋭いクチバシとツメを持つ猛禽類のなかでは小型の方で、大きさはハトくらい。
茶褐色の羽に黒褐色の斑点模様、胸と腹は淡いクリーム地に黒褐色の斑点模様。
雄は頭が灰色なのに対してメスは茶色なので判別可能です。
今回遭遇したのは雌のようです。空中でホバリングをするのが得意で、餌になる小鳥やカエル、昆虫などを見つけ急降下して捕らえます。
近年、野鳥の都市化がいわれており、ビルや橋梁などの建造物に営巣する例があるようです。この現象もいろいろな見方があるかも知れませんが、やはり人間の経済活動による開発が進んで、棲みかが狭められたことによることが要因ではないでしょうか。
また、うまく環境に適応した個体が、これを逆手に取って、人間をうまく利用しているとともに、餌となる小鳥が増えたこと、天敵が少ないということも都市化の理由になっているという見方もあるようです。
いずれにしても、お互いがうまく共存できれば、結果オーライということになるのでしょうか。
<チョウゲンボウ:Falco tinnunculus 長元坊>
※ 制作の裏側
野鳥をリアルに描こうと思えば、鳥の体の構造もある程度知らなければと思い、図鑑を調べた結果、何と羽の種類の多いこと。
飛ぶ時に広げる羽は左右各一枚と尾羽だけ思っていたのが、何種類にも細分されているのには驚きでした。
細かい説明は割愛し羽の名前だけ列挙すると、肩羽、小雨覆、中雨覆、大雨覆、初列雨覆、小翼羽、初列風切、次列風切、三列風切そして尾と実に11種類。
これだけの羽が飛ぶ時は目いっぱい開き、休む時は秩序正しく畳まれるよう精巧にできているのですね。
(作品データ: 水彩F4号 マルマン 絵の具 W&N)
1月明けましておめでとうございます。
このコーナーも、もう4年目になりました。
この一年は、「ワイルドライフ・アート」のシリーズをお送りしようと思います。
ワイルドライフ・アートとは、アメリカやカナダで1960年代あたりから成立した動物画を いうそうですが、単に動物を描くだけでなく、生息環境も含め、生物学的、生態学的にその対象を忠実に描くことに特徴があり、芸術性と科学的な正確さが要求されるものです。
つまり、野生動物とその背景も、本物であるが如くリアルに表現しなさい、と簡単に言えばそうなるでしょうか。
注文通りにはうまくいかないかも知れませんが、新しい試みとして挑戦したいと思いますので、この一年、おつき合いよろしくお願いします。
<カワガラス:Cinclus pallasii 河烏・川鴉>
※ 制作の裏側
今月のテーマは「渓流に生きる」として、カワガラスを描きました。
場所は田上山系の間を流れる天神川。
飛沫が凍ってツララが出来るほど冷え込んだ朝、堂山に登ろうと川を渡る時に出会ったカワガラス。
遠目には黒く見えますが、本来は茶褐色の羽の色で、水中に潜り水生昆虫などを餌にします。水中で泳ぐことはもちろん、流れの速い川底を歩くことも得意だそうで、長い脚指は川底をがっちり掴むために発達したのでしょうか。
ちなみに英名は、Brown Dipper(褐色の潜水鳥)で、なるほど納得です。
鳴き声が美しいわけでもなく、羽の色もいたって地味で目立たないのに、なぜか気になる鳥です。
(作品データ: 水彩F4号 マルマン、 絵の具 W/N )
12月のこの一枚は「冬支度三上山」です。
琵琶湖の周囲には大小いくつもの内湖があり、それらを結ぶ水路も無数に張り巡らされ、水辺の周囲は広大なヨシ原が広がり、独特の景観を保っていたものでした。
今は、自動車道路が完全に琵琶湖岸を取り囲んでしまい、車がビュンビュン走る環境となって、その景観は失われ嘆かわしい限りです。
それでも、湖周道路の陸側から見れば、内湖~田園~集落~山へと景色は辛うじて繋がっていて、ヨシ原の向こうに三上山を見ることができます。
初冬の季節、ヨシの穂は枯れ尾花のように白く変わり、湖岸に多く見られるマルバヤナギ(アカメヤナギ)も葉を落とし、冬の到来に備えています。
そのヤナギの枝越しに見える三上山も、冬備えが進んでいることでしょう。
さて、今月のこの一枚シリーズは、この一年、近江富士・三上山編でお目にかかりましたが、いかがでしたでしょうか。
来年はまた、新しいテーマでお目にかかりたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
この一年、ありがとうございました。
※ 制作の裏側
今月は制作の裏事情ではなく、三上山の事情についての情報です。
三上山は男山と女山があることは、6月の記事で紹介しましたが、女山に登る道があることはあまり知られていないと思います。
この一年、三上山シリーズを続けさせていただいたお山に敬意を表し先日登った時に偶然、女山への道を発見したのです。
その山頂にはちゃんと「雌山270м」の看板が立っていました。
何だかとても得したような気分になりました。
(作品データ: 水彩F4号 マルマン 透明=W/N)
11月のこの一枚は「秋色三上山」です。
草津市志那町の湖岸緑地公園から望む三上山。
メタセコイアの幹の間から遠慮がちに顔を覗かせる、そんな三上山を描いてみました。
午後の陽が傾き始めた頃、散歩がてらに立ち寄った公園は草紅葉の真っ盛り。
その中に、エノコログサの白い穂が陽を受けてキラキラ輝いていました。
穂の中には、熟した種がぎっしり詰まっています。
エノコログサという名前の語感も、何となく草の感じを捉えていて悪くはないのですが、子供の頃から親しんだ「ネコジャラシ」の方がピンときます。
エノコログサ最大の特徴である穂の形が、犬の尻尾みたいに見えたことから「犬ころ草」と呼び、転じてエノコログサになったと言われているそうで、これを漢字で書くと狗尾草。
また、穂が狐の尻尾のようにも見えることから、英語ではFoxtail Grassと呼ばれているそうです。
さて、ネコ、イヌ、キツネ、いずれに軍配があがるのでしょうか!
※ 制作の裏側
エノコログサの特徴的な白い穂が、草はらのあちこちで風に揺れているさまは、牧歌的で絵心をそそるものですが、描くのは大変です。
たくさんの小さな白を塗り残すのは、まず不可能。
そこで登場するのは、例によって「マスキング液」。
根気よくマスキングして、一気に草むらを塗りつぶすと、白が点々と浮かび上がります。
その白のなかに黒っぽい種の線をチョンと置いてやると、風に揺れるエノコログサの出来上がりです。
(作品データ: 水彩F4号 マルマン 透明=W/N)
10月のこの一枚は「払暁三上山」です。
草津市を東西に貫いて流れる葉山川の河口付近から見た、夜明け間近の三上山。赤、橙、黄、青のグラデーションが美しい。
ところで、この一枚を描きながら、今さらですが、ふと疑問に思ったことがあります。
昼間の空は青いのに、日の出と日没の空は何故赤くなるのか?
生まれてからずっと見ている当たり前過ぎる現象なので、疑問に思うことすらなかったのかも知れませんが、この年になって目覚めたのでしょうか…笑
この疑問を解決するには、光の性質を知る必要があります。
太陽からの光は、人の目で感じることのできる波長のものを可視光線といいます。
可視光線は、波長の短い方から紫・藍・青・緑・黄・橙・赤の順の虹の七色です。
まず、昼間の空はなぜ青いのか?
太陽が地上から最も近い真上にある時、即ち昼間には、波長の短い青の光は、空気の分子などにぶつかると早く散乱して空に広がるからです。
しかし、青より波長の短い紫は、エネルギーが弱いので地上の人の目に届かず、従って紫色の空とはなりません。
一方、日の出や日没のときは太陽の高度が低く、光が空気の層を斜めから差し込むため、大気の中を通る距離が長くなります。
波長の短い青い光は、早い時点で散乱し、そのエネルギーが弱いため私たちの目に届く前に消えてしまい、波長の長い赤や橙の光だけが届くようになるのです。
※ 制作の裏側
にじみ、ぼかし、たらし込みなどの技法があるようですが、なかなか思うようにいきません。
そこで試行錯誤の末、苦し紛れにある方法を思いつき、以後多用しています。
水彩画の手引書にも載っていないこの方法。次の機会にご披露します。
(作品データ:水彩F4号 マルマン 透明=W/N))
9月のこの一枚は「借景三上山」です。
借景と言っても、本来の借景とは少し趣が異なります。
高島市にある白髭神社の鳥居をお借りして、三上山を眺めるとこうなる、というものです。
余りにも位置関係がピタリと合うので、両者にどこか関連があるのか調べてみましたが、特に関係性はなさそうです。
この湖中大鳥居、室町時代の屏風絵「近江名所図」、江戸時代の縁起絵巻などに描かれているようですが、本当にこの頃からあったのか、定かな記録はないようです。
現在の湖中大鳥居が建てられたのは昭和12年、大阪の薬問屋「小西久兵衛」氏の寄進によるものだそうで、昭和56年に建て替えられ、今に至っています。
ちなみに、大鳥居の高さは湖面から12mだそうです。
また、JR湖西線が開通する前は、江若鉄道が神社本殿と大鳥居の間を走っていたそうで、ディーゼル機関車の引っ張る列車がガタコンガタコンと走り、のどかな風景であったことでしょう。
※ 制作の裏側
今月の一枚の、空の色として使っているのはセルリアンブルーです。
このセルリアンブルーは、青の色素の原料にコバルトという金属が含まれているため、粒子の比重が高く、水に溶けてもすぐ沈殿してしまいます。
そのため、塗る直前によくかき混ぜて、素早く塗らないと画面にムラができてしまいます。
このように、絵の具のクセ、紙のクセを知って対処しなければ、せっかくの一枚が失敗作に終わってしまうこともあります。
(作品データ: 水彩F4号 アルシュ 透明=W/N)
8月今月の一枚の、空の色として使っているのはセルリアンブルーです。
このセルリアンブルーは、青の色素の原料にコバルトという金属が含まれているため、粒子の比重が高く、水に溶けてもすぐ沈殿してしまいます。
そのため、塗る直前によくかき混ぜて、素早く塗らないと画面にムラができてしまいます。
このように、絵の具のクセ、紙のクセを知って対処しなければ、せっかくの一枚が失敗作に終わってしまうこともあります。
(作品データ: 水彩F4号 アルシュ 透明=W/N)のこの一枚は「妖雲三上山」です。
近江富士・三上山はどのようにして出来たのか、今月は三上山生成にまつわる伝説の世界に遊んでみましょう。
伝説その一。『先代旧事本紀』という書物の記述には…、「一夜に近江の地折れて湖水となり、その土は駿河の富士山となる。土の少し残れる故に、三上山となす」
伝説その二。「東海道名所記」の記述には…、
「むかし、富士権現、近江の地をほりて富士山をつくり給ひしに、一夜のうちにつき給へり。夜すでにあけければ、もっこかたかたをここに捨て給ふ。これ三上山なり」
二つの伝説は、表現の違いはあるものの、琵琶湖の土を積み上げて富士山をつくったということ。
そして、三上山はその余った土で出来ているということが共通しています。
余った土が三上山、という表現は滋賀県民としては面白くないですが、そこは伝説の世界の話として横において、注目すべきは、伝説その一の、近江の地折れて という表現。
地が折れるとは、亀裂でも入って地面が陥没したと捉えたのでしょうか。
つまり、琵琶湖の周りの断層が動いて陥没し、琵琶湖が出来たと。
であれば、大昔の人も、断層の存在には気づいていたのか、断層という言葉は無かったかも知れないが、そのような概念は持っていた?
鋭い洞察力というか、豊かな想像力というか、科学的データのない大昔だからこそ、生きるための本能として、そのような事に関しては現代人より敏感であったのかも知れません。
それにしても、一夜のうちに琵琶湖の大きさで大地が陥没したら、どんな激しい揺れであったのか、どれほどの大音響であったのか、気になるところです。
※ 制作の裏側
嵐の来る前だったか、草津市の自宅近くで見た三上山の上空は、本当に墨を流したという形容がピッタリの黒雲に覆われていました。
伝説その一で言うところの、まさに近江の地折れて、という天変地異の前触れかと思うような妖しい雲でした。
この雲の色をどうするか?絵の具の黒を直接使うのではなく、赤系・黄系・青系の混色で、より妖しさを表現出来るのではと考えました。
(作品データ: 水彩F4号 マルマン 透明=W/N)
7月のこの一枚は「額縁三上山」のご紹介です。
三上山から北西の方向、琵琶湖の対岸に近江八景・唐崎の夜雨で有名な 唐崎神社があります。
唐崎の松は花より朧にてと境内には芭蕉の句碑が立っています。
もう何年も前に、この唐崎の松をスケッチに行ったときのこと、主役の松はもちろん堂々と、境内の真ん中に、天に昇る龍の如くそびえたっていました。
現在の松は3代目か4代目ということです。
唐崎神社に行った人は、この唐崎の松は当然目にし、それなりの思いを持つのでしょうが、その他の松の木に目を留める人はまずいないと思います。
ところが、境内の琵琶湖寄りに目をやると、一本の変わった樹形の松が目に入りました。
地上を這う主幹の両側からそれぞれ幹が立ち上がり、その間に遠く三上山の姿が納まっていました。
あたかもこの松が額縁の如く三上山を包み込み、見ごたえのある風景を作っていました。
どのような経緯をたどってこのような形に育ったのか。
多分、過酷な自然条件がこのような形を創造したのだと思います。
唐崎神社に行かれる機会があれば、是非こちらにも目を向けていただければと思います。
※ 制作の裏側
神社の境内の脇に小さな団子屋さんがあり、昔からみたらし団子が有名な店のようでした。
スケッチを終えて団子を食べようと店に入ると、年配の主人が出て来て注文を聞いてくれました。
話し好きな人柄とみえ、スケッチブックを見ると何を描きに来たのかと問われ、スケッチブックを披露する破目になり、しばらく談笑をしました。
まだお元気でおられるのか…、今月の一枚を機に思い出しました。
(作品データ:水彩F6号 マルマン 透明=W&N)
6月のこの一枚は、「水鏡・近江富士」のご紹介です。
田んぼに水を張ると、鏡のように周囲の景色を映すので、この状態を水鏡というそうです。6月になると稲も根付いて、これから夏に向けグングン成長する時期。
そんな田んぼに、雨上がりの三上山がくっきりと映っています。
三上山の西方向から、御上神社の森をはさんで望むと、今月の絵のような姿を見ることができます。
主峰の右側にある低い山は「女山」と登山マップに載っていました。
~三上山 のみ夏知れる 姿かな~ という句があります。
尾張の医師で俳人であった井上士郎(1742~1812年)という人の作品。
一見、どういう意味なのかピンときませんでしたが、解説文を読んで納得。
直訳だと、三上山のみが夏の青々とした姿をしている、ということですが、その裏には、日本三大禿山の一つ、田上山に代表される湖南一帯の禿山があったのです。
建築材として、薪炭材として、腐葉土材として、その他諸々…山の再生力を越える利用があったということです。
ただ、三上山は神体山としての聖地であったために、山が保護されていたので、青々としていたということでしょうか。
昔はアカマツが優勢で、三上山といえば松茸、と言われるくらいだったようですが、今は遷移が進んで、ふもとから陰樹のシイが優勢になってきました。
※ 制作の裏側
水彩画は水の挙動に大きく左右されます。良くも悪くも予期しない効果が画面上に表れて、一喜一憂することもしばしばです。
特に広い平面では、色を塗って乾くまでの変化が気になります。
今回は広い空、広い水田があるので、できるだけ色を淡く、変化が目立ちにくいよう配慮した、というより逃げたと言った方が良いかも知れません。
(作品データ:水彩 F6号 マルマン 透明=W&N )
5月のこの一枚は、「近江富士・黄色裾模様」をご紹介します。
草津市の東部を流れる葉山川は、左岸の堤防がサイクルロードになっていて歩きやすいため、地元の人の恰好のウォーキングコースになっています。
春になるとこの堤防の法面が黄色一色で覆われ、ウォーカーが黄色に染まるかと思うほどです。
黄色の正体は「セイヨウカラシナ」というアブラナ科の花。
ヨーロッパから、食用として栽培するため日本に入ってきたそうですが、いつの間にか栽培されなくなって野生化したのだとか。
例年ですと5月の大型連休前までは堤防が華やかなのですが、今年は他の花と同様、早く咲いて、さっさと種をつけてしまいました。
さて、河川敷や荒地を埋め尽くすほどに旺盛な繁殖力はどこにあるのでしょう。
まず思い当るのは種の多さです。物は試しとばかりに、散歩の途中で数えてみることにしました。
平均的な株を見つけ、早速カウント。
一株から茎が20本ほど立ち上がっています。
その茎から7~10本の枝が出て(太い枝からはさらに小枝も出ているがこれは省く)、枝1本当たり30~50個の莢がついています。
さらに、この莢の中に平均10個の種が入っていました。
これを合計すると、20×8×40×10=64000即ち一株に64000個の種をつけていることになり、この莢が弾けて種が飛び散るわけですから、結果は推して知るべし。
ただ、栽培されていたものがこれだけ広範囲に野生化していることについては、どこかに人為的なものが介在しているのではないかと勘ぐってしまいます。
※ 制作の裏側
山の手前に黄色い花が一面に咲いているという、構図としてはごく単純なものとなりました。
そこで、空の雲にも一役買ってもらうことに…。
いつもは添景物としての雲ですが、今回は少し存在感を強調してみました。
(作品データ:水彩 F6号 マルマン 透明=W&N 不透明=ホルベイン))
4月のこの一枚は「桜近江富士」のご紹介です。
4月と言えば、まず桜というのが真っ先のイメージでしたが、昨今はそうもいかなくなってきました。
今年は何と!3月に満開などと、かつて経験もしたことのない事態になってしまいました。
毎年、毎年、花の咲き方が早くなっているような気がします。
さて、桜と言えばソメイヨシノ。
私たちは咲き誇ったソメイヨシノを見てきれいだ、きれいだと歓声を上げ、楽しませてもらっているのですが、実はソメイヨシノの側からすれば、別に人間を楽しまそうと咲いているわけではありません。
鳥や昆虫を呼び、蜜を提供する代わりに受粉の手助けをしてもらう、そのためのデモンストレーションなのです。
しかし、どんなにきれいに咲き誇り虫が花粉を媒介しても、ソメイヨシノの種子ができることはありません。
ご存知のように、ソメイヨシノは人間が作り出したクローンなので、サクラ属の植物が持つ「自家不和合性」のため、たとえ異なる株の花粉が着いても、ソメイヨシノの種子が実ることはありません。
しかし、ソメイヨシノ以外の花粉であれば、交雑種の種子ができる可能性はあります。
このことは、遺伝子の多様度を上げるため、また、近親交配による劣勢遺伝子を作らないための、植物が持っている防御機能と考えられています。
人間が鑑賞するため、人間の都合で作り出されたのがソメイヨシノだと思うと、少し複雑な心境です。
※ 制作の裏側
昨年の4月も桜の作品で少しご紹介したと思いますが、水彩画で景色の前景に桜など白っぽい対象物を入れるのはなかなか難しいものです。
そこでお世話になるのが、濃い色の上から塗り重ねのできる、ガッシュという不透明水彩絵の具です。
白のガッシュにピンクをほんの少し混ぜて、桜色をつくります。
それを背景の上に塗り重ねると、前景の桜と背景の境目が不自然にならずに済むというメリットがあります。
(作品データ:水彩F6号 マルマン 透明=W&N、不透明=ホルベイン)
3月のこの一枚は「逆さ近江富士」のご紹介です。
「逆さ富士」はよく見聞きし、画像も見る機会は多いのですが、これが「逆さ近江富士」、すなわち三上山が水面に逆さに映っている風景となると、それほどよく目にするわけではありません。
今回ご紹介するのは、希望ヶ丘公園の西ゲート近くにある、辻ダムという灌漑用のため池に映ったものです。
その時の三上山はちょうど淡い雪に覆われ、全体が白っぽい色合いでした。
空は晴れ風がなく水面が静かであるという絶好の条件で、逆さ近江富士を見ることができました。
ところで、葛飾北斎の富嶽三十六景と題した浮世絵はあまりにも有名ですが、このなかにも逆さ富士があり、ネットなどで見ることができます。
「甲州三坂水面」とタイトルのついた浮世絵、山梨県の御坂峠から見た景色と言われています。
確かに逆さ富士にはなっているのですが、見た瞬間に違和感を覚えました。
水面に映った富士山の位置が明らかにズレていること、富士は夏の装いなのに水面の富士は雪姿となっていることです。
これは、北斎のウィットであり、奇抜さ故と言われていますが、あまりに現実離れしていると、どうも…?と感じてしまいます。
皆さんはどう感じられますか?一度ネットなどで確認してみて下さい。
※ 制作の裏側
以前にも書きましたが、水面をそれらしく描くのはなかなか難しいものです。
水面に映り込んだ景色、微風によるかすかな水面の揺らぎ、光の反射などが渾然一体となっている様子を表現しなければなりません。
今回、意外に思ったのは、映り込んだ景色は思った以上に暗くしなければ、水面をうまく表現できないということでした。
(作品データ: 水彩F6号 マルマン)
2月のこの一枚は、北峰縦走路から見た三上山のご紹介です。
北側から見る三上山は、他のどの方面から見るより山頂がとがって見え、かつ裾野が長く、形がいちばん富士山に似ていると思われます。
また、視界に邪魔な人工物が入らないので、美しさもひときわです。
では、その美しい形はどのようにして出来たのか、にわか勉強の成果を少しだけ披露しましょう。
三上山の山の種類は残丘といい、浸食から取り残され孤立した丘陵とされています。
浸食から取り残されたということは、周囲の他の山が浸食されて低くなったのに、三上山は浸食されなかったということになります。
つまり、硬いということ。
三上山の表登山道を登るとよくわかるのですが、急傾斜の山麓に巨岩がむき出しになっています。
そして、これら巨岩は明らかに、浸食されやすい花崗岩とは違う顔をしています。
その正体は層状チャート。
珪酸を含んだ泥が、長年にわたって層状に堆積して水成岩となり、これが地殻変動により隆起し、マグマの熱で焼き固められ、層状チャートと呼ばれる硬い岩石になったという次第です。
しかし、硬いだけで美しい山容になるとは限りません。
硬い部分がたまたまあのような形の骨組みとして形成された結果であって、いわば自然の気まぐれか、神のいたずらとしか言いようのない世界なのです。
※ 制作の裏側
硬く風化しにくい三上山と、柔らかく浸食の進んだ周辺の山との違いを、色で表現してみました。
三上山は、思い切り寒色で冷たい感じの色を使ってみましたが、硬さを感じていただけたでしょうか。
また、低山ながら威風堂々とした姿を強調するため、空を広くとって解放感いっぱいにしてみました。
(作品データ: 水彩F6号 マルマン)
1月のこのコーナー三巡目の新年です。
最初は一年で終わりと思っていたのですが、何のはずみか気がついたら二年経っていました。
ということで、今年も続けることになりました。
本年もよろしくお願いします。
この一年は、湖南のシンボル「近江富士・三上山」のシリーズをお送りしようと思います。
今月は、近江八幡市・長命寺の森から見た三上山遠望です。
三上山は標高432mで、麓にある御神神社の御神体としても知られ、また、姿が美しいことから「近江富士」と呼ばれ、湖南のランドマークとして親しまれています。
「打ち出て 三上の山を詠れば 雪こそなけれ富士のあけぼの」と紫式部が詠んでいるように、この頃からすでに近江富士という意識が、人々の中にあったことをうかがわせます。
さて、ではその美しい山容は如何にして出来上がったのか?
そのあたりは次回からふれることにしましょう。
※ 制作の裏側
今からちょうど10年前の1月、2回目の琵琶湖一周挑戦中のコース取りで、長命寺~国民休暇村へのルートを、湖畔ではなく長命寺山、奥島山の三角点を結ぶルートにし、長命寺の石段を登り始めました。
折しも、前夜に降った雪が数センチ積もっており、辺りは銀世界。
石段をあえぎあえぎ登り、一息入れてふっと振り返ると、雪をかぶったスギの大木の向こうに、三上山が見えました。
その時の急ぎスケッチをもとに描いたのが、今回の作品です。
(作品データ: 水彩F4号 muse紙・中目)
12月のこの一枚は「暮れる」と題して、湖南アルプスの夕焼けをご紹介します。
数年前の元旦、初詣で代わりに金勝・狛坂の摩崖仏に参拝し、天狗岩に登り帰ってきました。
出発が遅かったもので、天狗岩を下りる頃はすでに黄昏時。山の日暮れは特に早く、急ぎ足の背中を追っかけるように迫ってきます。
足元が見えるうちに山を下りてしまおうと、ふと目をやった西の空は、今まさに太陽が沈もうとする瞬間。
山の稜線から下にあるものはすべて色彩が失われ、黒いシルエットに。
反対に空は、赤と黄色とブルーのグラデーションに彩られ、一日の終わりの儀式を華やかにかつ厳かに演出しています。
元旦早々、この壮大な自然の営みを目の当たりにできた幸運に感謝しつつ、慎重に慎重に山道を下りました。
制作の裏側
日の出や日の入りは、写真家や絵描きにとってなかなか魅力的な素材です。
ポイントは眩しさをいかに表現できるか、と自分では思っていますが、光の眩しさを画用紙で表現するのはなかなか難しいものです。
そこで今回は、手前の木のシルエットを強調することで効果を期待しましたが、思う様にはいきませんでした。課題を持ち越しです。
(作品データ: 透明水彩 F4 maruman 中目)
11月のこの一枚は「草紅葉 」と題して、晩秋の田園風景をご紹介します。
田んぼの表情も、四季の移り変わりに目を凝らしていると、なかなか変化があって面白いものです。
たわわに実った稲穂が刈り取られた後の田んぼは、黒い土と残った切り株だけの寒々しい風景に変わります。
それまでが、黄金色で華やかだっただけに、侘しさが一層つのります。
しかし、そんな風景もしばらくすると、再び一面が緑の色彩に彩られてきます。
残った切り株から「ひこばえ」が出てくるからです。
しかしその「ひこばえ」も、やがて秋が深まるとともに枯れ、田んぼは一面黄色から橙色に染まります。
紅葉は樹木の葉の専売特許だと思っていたのですが、草にもちゃんと「草紅葉」というのがあり、れっきとした秋の季語であると知りました。
制作の裏側
国道1号線を鈴鹿峠方面に向け走っていると、甲賀市水口から土山へ差し掛かるあたりに広がる田園風景。
の中に数本の針葉樹が、趣ある佇まいで……。
車を農道に乗り入れシャッターを押す。
フォーカスの中心は針葉樹でしたが、画像をチェックすれば、根本に広がる「ひこばえ」の色どりに魅せられていました。
(作品データ: 透明水彩 F4 muse 中目)
10月のこの一枚は「マイロード 」と題して、架空のある道をご紹介します。
今の日本は、田舎の路地までもが固い舗装路になってしまいました。
土の道を歩こうと思うと、あぜ道か山道くらいしかありません。
そこで、自分の理想の道を画用紙に表現してみました。
自然豊かな田舎に一本の地道がうねっています。
歩いて良し、ジョギングも良し、自転車を駆るのも良いでしょう。
でも、エンジン付きの車は進入禁止!
そんな道が日本のあちこちにあれば、ウォーキング人口は増え、メタボが減り、医療費も減り…と思いが跳んでしまいます。
イギリスには「フットパス」と称する、歩くための小路が国中に張り巡らされていると聞きます。
本当の意味で、人の歩ける道が身近にあれば、また、そんな道を大事にする風潮があれば、世の中もっと変わると思うのですが…。
制作の裏側
何年か前、ある航空会社が出しているカレンダーの景色に、目が止まりました。
アメリカ北部にある州の田舎の風景です。そして、この風景の中にスッと入って行けるかのような錯覚を起こさせるのが、大木の間を通る道。
これを自分の絵にしてしまえば、この風景はすべて自分のものになる。
そんな勝手な理屈をつけて、この「マイロード」の所有権を得ることに成功しました。
(作品データ: 透明水彩 20P アルシュ 中目)
9月のこの一枚は「 奔流(ほんりゅう)」と題して、瀬田川の流れをご紹介します。
琵琶湖から流れ出る唯一の河川である瀬田川は、普段はごくおだやかな流れですが、時に激しい流れに豹変することがあります。
それは、琵琶湖の水面が危険水位を超えるなどの緊急事態のとき、瀬田川洗堰からの放流量が増えるから、というのはよくご存知の通りです。
これから台風シーズン。このような場面が多くなりそうです。
洗堰は国交省琵琶湖河川事務所が管理し、「瀬田川洗堰操作規則」によって、あらゆる場面に対応できる体制が敷かれています。
さて、あらゆる場面に対応ということですが、次のような場面ではどうなのでしょうか?
例えば、淀川水系に大雨が降り、下流である淀川も水位が上がっている状態で琵琶湖の水位が危険ゾーンになってきたら…うかつに放流すると淀川が氾濫します。
では、どうすれば?
実は、琵琶湖も危険、淀川も危険という状態は同時には来ないそうです。
淀川の流量ピークと、琵琶湖の水位ピークには時間差があるそうで、琵琶湖の水位ピークの方がほぼ一日遅れるのだそうです。
自然はうまく出来ていますね!
制作の裏側
本作品の舞台は、洗堰からずっと下流の鹿跳橋(ししとびばし)の下の河原で、鹿跳渓谷と呼ばれる瀬田川の景勝地。
普段は岩の露出量が圧倒的に多いのですが、この日は水量の方が勝って岩の壁をほとんど隠しています。
水流は、広い川幅から急激に狭くなった方に集中したために、一気に白い牙を剥く急流となりました。
対岸の岩は、ほとんど角がとれています。
(作品データ: 透明水彩 F4号 コットマン 中目)
8月のこの一枚は「浄土」と題して、在りし日のハスの群生地をご紹介します。
この絵のように、草津市下物(おろしも)にある烏丸半島の入江(赤野井湾)は、夏になると一面ハス池と化し、緑の絨毯に30万輪の花が咲く見事な景観になっていました。
静かな早朝ここに立つと、まさに「極楽浄土」はこんな所か、と思わせるような荘厳な空気に包まれます。
しかし、2016年(平成28年)を最後に、ハスたちは忽然とこの場所から姿を消してしまいました。
はっきりとした原因は未だわかっていないそうですが、過密になったために水中で根が窒息したのでは?などという説があるようです。
以来、復活を目指して様々な試みが行われているようですが、決定打はなさそうです。
さて、よく耳にする質問ですが、ハスとスイレンはどこがどう違うの?
両者の実物を見れば一目瞭然ですが、簡単な見分け方を二つ三つ紹介しましょう。
ハスは花、葉ともに水面から高いところにありますが、スイレンは花、葉とも水面すれすれで、水に浮いているように見えます。
ハスの葉には切れ目がありませんが、スイレンの葉には一か所切れ目があります。
ハスの種子はやはり水面より高い位置に、如雨露の口のような形をした、いわゆるハチスのなかに収まっていますが、スイレンの種子は水中に引き込まれて、水中を漂います。
参考になったでしょうか?
制作の裏側
絵画の技法に「空気遠近法」というものがあります。
空気遠近法は、大気が持つ性質を利用した空間表現法です。
戸外を眺めてみると、遠景に向かうほどに対象物は青く見え、また同時に遠景ほど輪郭線が不明瞭になり、対象物はかすんで見えます。
こういった性質を利用して空気遠近法では、遠景にあるものほど形態をぼやかし、色彩をより大気の色に近づけるなどして、空間の奥行きを表現します。
こんな言葉や技法は知らずに描いた本作ですが、実物をよく見て描けば、自然と空気遠近法を取り入れているのでは、と思いますが、本作如何なものでしょうか?
(作品データ: 透明水彩 F4号 コットマン 中目)
7月のこの一枚は「聖地」と題して、大津市葛川にある明王谷をご紹介します。
画面中央、朱色の欄干の橋(三宝橋という)を右から左に向けて渡ると、葛川明王院があります。
比叡山延暦寺の千日回峰行創始者、相応和尚(そうおうかしょう)が、天台修験道場として開基したと伝えられています。
~相応和尚が、明王谷の奥にある三の滝で修行中、滝壺に不動明王が現れ、感激のあまり飛び込み抱きついたが、不動明王と見えたのは実はカツラノキの流木であった。
その木を持ち帰った相応和尚が、一心に不動明王を彫り、お堂にお祀りしたのが明王院の始まりであると~
毎年7月16日~20日の5日間、この明王院において「夏安居(げあんご)」といわれる天台僧侶の修行が行われ、中でも「太鼓回し」という一風変わった行事が修行のハイライトの様です。
さて、三宝橋の下流側から見ると、イロハモミジが橋の欄干を覆うように、そして渓流にかぶさるように茂っています。
初夏から夏にかけて青々と茂るモミジを「青モミジ」と称し、秋の紅葉と対比して表現します。
染み入るように鮮やかな緑が渓流の瀬音と相まって、聖地にふさわしい静けさと涼しさを醸し出しています。
制作の裏側
モミジといっても、モミジの葉を一枚一枚描くわけにはいかないので、見る人にそうとわかってもらうにはどうしたら良いか。
渓流の水の動きをどう表現したら良いのか。
これが作品をつくるポイントでした。
濃い色の緑の点を、縦・横・斜めに幾重にも重ねていく。
水の流れに沿って丹念に筆を動かしていく。
この作業を根気よく続けました。
(作品データ: 透明水彩 F6号 中目)
6月のこの一枚は「緑風」と題して、ブナの森をご紹介します。
森の木々も、若葉からより濃い緑に変わっていく季節になりました。
この時期に、落葉広葉樹の森に入ると、まるで緑色のシャワーが降り注いでくるような錯覚を覚えるほど、葉にみずみずしさを感じます。
マキノから八王子川に沿って黒河(くろご)林道を登り詰めると、近江と若狭の分水嶺、黒河峠(くろごとうげ)に出ます。
この辺り一帯は豊かなブナの森が広がり、峠道を歩いて疲れた身体を休ませていると、ブナ林を渡った涼風が汗ばんだ身体を癒してくれます。
赤坂山、三国岳など高島トレイルを目指すハイカーたちは、このブナ林で一息入れ、元気をもらい登っていくのでしょう。
ブナの森を堪能するには、今の時期がちょうど良いと思います。
制作の裏側
あまりアップダウンが無くて快適に歩けるブナの森があれば、などと勝手に自分に都合の良い森を想像して描いてみましたが、イメージは黒河峠がベースになって
います。
絵を見る人が、ひょいと森に入って行けるよう、散策道も入れたつもりですが、気づいていただけたでしょうか…。
(作品データ: 透明水彩 F10号 アルシュ 中目)
5月のこの一枚は「朝の光」と題して、バラの花をご紹介します。
各地のバラ園では、花の最盛期に向けて手入れに余念がないことでしょう。
しかし今年は、優雅にバラを鑑賞するという楽しみを放棄せざるを得ない事態であることは、すでにご承知の通りです。
とても本物にはかないませんが、せめてものなぐさみになればと思い、この絵をお届けします。
バラの品種は大きく分けてオールドローズとハイブリッドローズ。
オールドはその名の通り、古典的な原種に近い品種。ハイブリッドは品種改良を重ねた現代的バラといえるでしょう。
オールドは花弁が50~100枚にもなり、複雑に重なり合った花の姿であり、ハイブリッドは花弁が少なく、スッキリとした現代風と表現できそうです。
どちらを好むかは人それぞれですが、今回はオールドローズを選びました。
バラの花は、愛の女神ヴィーナスとともに、泡立つ波のなかから生まれたと言い伝えられ、ギリシャの詩人は「花の女王」と讃え、その香りを「恋の吐息」と表現したそうです。
制作の裏側
バラの花を愛でるには、やはり朝のすがすがしい空気の中がふさわしいのではないでしょうか。ということで、朝の光を意識してみました。
また、オールドローズの複雑にからみ合った花弁の様子を感じていただければ幸いです。
(作品データ: 透明水彩 F6号 マルマン 中目)
4月のこの一枚は「薫風」と題して、彦根市の荒神山をご紹介します。
彦根市の南部に位置し、田園地帯にこんもりとした姿を見せる荒神山は、標高283mの低山ですが、周囲に視界をさえぎるもののない独立峰につき眺望は抜群で、特に琵琶湖にある三つの島を、同じ場所から見ることができます。
滋賀県広しと言えど、他にこのような場所があるでしょうか。
荒神山奥山寺縁起によれば「天平三年行基菩薩が四十九院を建立すべき願いありしところ、忽然大空に声あり、三面八臂(さんめんはっぴ)の姿をあらわし…まずわれを祀らざれば大いに障害をなす…という。行基これに驚き山を開いて奥山寺を創建、多羅樹でその像を造り三宝大荒神といい、これより山の名を荒神山と名づけたり」と山名の由来があります。
麓の曽根沼から見ると、折しも桜のシーズン。山麓に点々と山桜(多分)の淡い色が見えます。
池の畔で桜を眺めていると、一陣の風がサーっと吹き抜け、静かな水面が一瞬ざわめきました。
制作の裏側
春の心地良い風を、画面に表現するのはなかなか難しいことです。
皮膚で感じる心地良さを、視覚で感じてもらわなければならないのですから。
風を受ければ草や木の葉も動きますが、小さな画面にはなかなか表現しづらいものです。
そこで目をつけたのが水面。風が吹くたびに水面に模様ができます。
どうか、想像力を目いっぱい働かせて、この場に立って風を受けているつもりでご覧いただければ幸いです。
(作品データ: 透明水彩 F4号 ミューズ 中目)
3月のこの一枚は「霊木」と題して、コウヤマキを紹介します。
NHKの朝ドラ「スカーレット」も今月をもって終了の様ですが、舞台となった信楽にちなんで、この題材を選びました。
信楽高原鉄道の終点、信楽駅の一つ手前に、玉桂寺前という駅がありますが、その駅の目の前に玉桂寺という真言宗の古刹があります。
境内には弘法大師お手植えと言い伝えのある、りっぱな「コウヤマキ」の巨木があり、昭和44年3月に滋賀県の天然記念物に指定されています。
以前訪れた際、記憶に留めておこうとスケッチしたものです。
コウヤマキはコウヤマキ科のなかで1属1種、日本固有種で、水に強く朽ちにくいことから、古代には貴人の最高級の木棺として、また水桶や橋杭などに使われたようです。
また、秋篠宮家悠仁親王の御印の木としても知られています。
制作の裏側
スケッチの現場は、お寺の本堂に向かう石段の左右で、いくつもの株が群生していて、お寺の看板によれば左側に43株、右側に22株もあり、とても全容を収めることは不可能。
そこで、特に左側の主幹の幹回りが6.1m、樹高が31.5mであることから、この幹を主に描くことにしました。
正確な樹齢は定かではありませんが、数百年を経ていることは間違いないでしょう。過酷な自然環境に堪えてきた、その様子が少しでも表現できればとの思いで制作しました。
(作品データ: 水彩F4号 マルマン)
2月のこの一枚は「飛翔」と題して、オオワシを紹介します。
地元の人たちから、「山本山のオバアチャン」と呼ばれ親しまれているのは、今年で飛来22回目を数えるオオワシの雌。
年齢は推定28歳以上。人間でいえば、もう90歳になろうかという超高齢の個体です。
本来はオホーツク海あたりで魚を捕りながら越冬するオオワシですが、何故かこのオバアチャンだけが毎年琵琶湖に渡って来て、湖北の山本山をねぐらにしているのか……?
少なくとも、棲みやすく餌が豊富だという理由は間違いないところでしょうが、この個体一羽だけが毎年というのは謎です。
ところで、いま海がプラスチック汚染で深刻な状態に陥っています。
毎年800万トンものプラスチックが、ゴミとして海に溜まっているそうで、海洋生物への影響が深刻化しています。
風化や波の力でマイクロ化したプラスチックは、まず魚介類に取り込まれ、いずれ、食物連鎖の頂点にいるオオワシにも悪影響が出るのは必至です。
もちろん、われわれ人間も例外ではありませんが、それは元凶を作り出した者への天罰だと言われれば、反論の余地はないでしょう。
山本山のオバアチャンは、今月の末には北に帰って行きます。
来年23回目の飛来が確認されたら、是非一度、その雄姿を見たいものです。
制作の裏側
野生動物を、じっくりスケッチするなどというのはまず不可能です。
まして、自由に飛び回る鳥となるとなおさらのこと。
そこで、頼るのは写真ということになりますが、それでも素人には難しい。
写真をもとに絵にするというのは、本来やってはいけないことですが、今回は、その禁を犯してしまいました。
飛来を知らせる新聞記事は必ず写真つきで掲載されるので、その写真を拝借したという次第です。
(作品データ: 水彩F3号 マルマン)
1月 このコーナーも二巡目の新年となりました。
今年もよろしくお願いいたします。
さて今月は「老楠の春」と題して、京都市東山区にある青蓮院の楠の巨木をご紹介します。
説明看板によれば、樹齢800年、幹周り6mとのことで、京都市の天然記念物にも指定されています。
これだけ樹齢を経ていても、春になると元気に黄緑色の葉をいっぱいに繁らせ、辺りにパワーを放っています。
このパワーの素になっているのが、フィトンチッドと呼ばれる抗菌、防虫作用を持つ物質で、昔は楠から抽出した樟脳が防虫剤として、どこの家庭でも箪笥に入っていたものでした。
ちなみに、樟脳の「樟」の字はクスノキの中国名で、楠は和名とのことです。
老いてもなお盛ん。青蓮院の老楠にあやかりたいものです。
制作の裏側
この作品を描くためにスケッチに行ったのは、もう10年も前。
三条通りの粟田口から知恩院、円山公園の方に抜ける道沿いにある巨木が、お目当ての楠です。
スケッチをするには、場所的条件からどうしても道沿いの塀にぴったりと背中をつけた姿勢しかとれなくて、ずい分きゅうくつな作業となり、また下手なスケッチでは人目も気になり、とても楽しみながら悠々という心境ではありませんでしたが、作品が出来上がってしまえば、苦労も楽しい思い出に変化してしまうようです。
(作品データ: 水彩15号 アルシュ紙・中目
12月は「和 」と題して、三島池の水鳥をご紹介します。
伊吹山のふもとにある三島池は、伊吹山が逆さに写る池として、アマチュアカメラマンや絵描きの格好の題材になっています。
また、静かな水面は水鳥たちの絶好の休息場所にもなっています。
雪を戴いた伊吹の麓で、マガモの夫婦がくつろいでいる様子は、平和そのもの……。
地球上のすべての場所で、この様に平和な光景が見られるようにとの願いを込めて描きました。
今年一年、ご訪問ありがとうございました。
制作の裏側
水面に氷が張った様子を絵の具で表現するテクニックは色々あると思うのですが、ちょっと変わったおもしろい方法として、食塩を使うやり方があります。
紙面に水をたっぷり含ませ、淡いブルーをサーッと塗ります。水分が乾かないうちに、その上に食塩をパラパラとふりかけます。食塩が水分を吸収すると、紙面は複雑なまだら模様ができ、氷の表面を思わせるような景色になるというわけです。
完全に乾いたら、塩をきれいに払い落とします。
(作品データ: 透明水彩10号 アルシュ紙 中目)
11月は「山おやじ 」と題して、ブナの老木をご紹介します。
数年前、比良連峰の一つ「釈迦岳(1,060.3 m)」に登った時、ブナの群生と出遭いました。
日本海側から吹き付ける風と深い雪の重みですべての木の根元が一旦琵琶湖側に倒れ、そして力強く空に向かい立ちあがっていました。
ブナは本来、平滑で美しい幹肌をしているのですが、長年風雨にさらされると様々な傷痕が残ります。
痛々しさを感じるのですが、それが却ってブナの生きてきた軌跡として、力強く訴えてくるものがあります。
ブナの老木の、苦闘の歴史に敬意を込めて描きました。
制作の裏側
「山おやじ」という呼び名は、北海道ではヒグマのことを指すそうです。
また、薪炭材として萌芽更新を繰り返しているうちに、根元付近がコブになり、なかには洞ができているものもある、高島市マキノの雑木林のクヌギを指して、写真家の今森光彦氏が命名した呼び名でもあるそうです。
今回の作品は材がブナですが、その表情をみていると、どうしても作品名として「山おやじ」以外に思いつかず、使わせていただきました。
(作品データ: 透明水彩 30号 ワトソン紙 中目)
10月は「樹冠 」と題して、森の様子をご紹介します。
森を外側から見ると、樹木は好き勝手に幹や枝を伸ばし、葉を繁らせているかのように見えます。
確かに、手入れの悪い人工林などは、狭いすき間からわずかにさし込む光を求めて、枝が密集して光をさえぎり、暗い森が形成されています。
ところが、遷移の最終段階である極相の森であるにもかかわらず、森の内部に入って見上げると、シイ、カシなどの大木がかなりの密度で生育している森でも、樹木同士の秩序が保たれているかのように、樹冠と樹冠の間にわずかの緩衝地帯ができ、お互いの枝葉が重ならないような造りになっていることがわかりました。
その様子が模様として面白く、画用紙に表現してみようと思いました。
森の木々の分をわきまえた謙虚さには、とてもまぶしいものを感じます。
制作の裏側
今回の作品は絵画というより、むしろ自然観察見取り図といった方が良いのかも知れません。
森林インストラクターが個人的な興味から作成したものなので、一般受けはしないと思います。
森も見る角度を変えればこうなる、と受けとめていただければ幸いです。
(作品データ: 透明水彩 30号 ワトソン紙 中目)
8月は「飛翔 」と題して、渡りをする蝶 のご紹介です。
アサギマダラという、色彩のきれいな蝶がいます。
真夏の空と同じ、ブルーの羽根が鮮やかです。
蝶といえば、花から花へフワリフワリと優雅に舞う姿が一般的なイメージですが、この蝶は違った面を持っています。
暖かい夏を日本で過ごしたアサギマダラは、秋になると南に渡ります。
その距離、何と2千km。
国際的に愛好家の間で確認された記録は、
春の北上例で、台湾陽明山→滋賀県大津市の1790km(所要39日間)
秋の南下例で、和歌山県日高町→香港の2420km(所要83日間)
などがあります。
一見頼りなさそうに見える蝶の、どこにこんなエネルギーがあるのか?
どんな飛行コースを取るのか?途中、どれくらい休憩をしているのか?
まだまだ謎の部分があるようです。
アサギマダラと出合うには、彼、彼女らの好物のある場所に行くのが一番。
真夏は標高1,000mくらいの山地で、ヨツバヒヨドリ、ノリウツギの花へ。
9月~11月の低山、平野部で、フジバカマ、ヒヨドリバナ、アザミ、ツワブキなどに吸蜜に来るそうです。
制作の裏側
野生の生き物をスケッチするのは難しい。特に鳥や蝶はすぐに飛んで行ってしまうので、まずスケッチは不可能。そこでカメラの助けを借りることになる。
伊吹山の山頂遊歩道・東コースを歩き終え、終点である駐車場に到着する直前に幸運が訪れた。
道端に咲くヨツバヒヨドリの花に、アサギマダラが吸蜜に来ているのを発見。
すでに先客が三人ほどカメラを構えている。急いでカメラを取り出しレンズを向ける。
ズームを操作する間も、飛んで行ってしまうのではと気はあせるばかり。
しかし、この被写体は、こちらの気持ちを察してか、逃げずにポーズをとり続けてくれた。
(作品データ: 透明水彩 6号 ワトソン紙 中目)
7月は「迸る(ほとばしる)」と題して滝のご紹介です。
暑くなると水辺が恋しくなります。
ちょうど一年前、涼を求めて目指したのは「楊梅(ようばい)の滝」でした。
湖西線の北小松駅から、頑張れば歩いて1時間と少しの行程で、雄滝の滝壺へたどり着くことができます。
滝壺に降りると、轟音とともに冷気が体を包み込み、下界の猛暑とは無縁の世界に浸ることができます。
轟音ではあるが騒音ではない、水の迸る音は心を落ち着かせるリラックス効果があります。この滝については、水田有夏志著「近江の滝」に詳細が記載されていますので、そちらを参照されると良いですが、この中で筆者は、「楊梅の滝」は本来「遥拝の滝」であったのではないか、と述べています。
楊梅はヤマモモのことで、室町幕府第十三将軍の足利義輝がここを訪れた時、滝をヤマモモの木に例えて命名したという言い伝えもあるようで、その関係から楊梅の字が当てられたのではないか、というわけです。
確かに、この滝に対面すれば、自然と手を合わせたくなる「遥拝の滝」の名もうなずけます。
制作の裏側
滝壺から見上げた時の、圧倒的な迫力をどのように表現すれば良いのか、勢いある水の表現をどうすれば良いのか、難しい課題でした。
岩に飛び散る水を表現するのに、マスキング液を使ったのは正解であったと思います。
(作品データ: 透明水彩 30号 アルシュ紙 中目)
6月は「朝もやに咲く」と題したアジサイをご紹介します。
梅雨時の花は何といってもアジサイ。昔からの定番のようです。
確かに、太陽がさんさんと輝く光の中より、小雨にしっとりと濡れたアジサイの方が風情を感じますね。
さて、昔からよくいわれているように、アジサイの色は酸性の土壌では青系、アルカリ性だと赤系ということになっていますが…
ポイントとなるのは、アジサイの色素成分のベースがアントシアニンであることと、色を決定する成分はアルミニュームであること。
酸性の土壌においては、土壌に含まれるアルミニュームが溶け出しやすく、根に吸収され、アントシアニンと結合すると「青」に。
アルカリ性土壌においては、アルミニュームが溶け出しにくく、アントシアニンとの結合もないので「赤」に。
また、白いアジサイはアントシアニンを持っていないため、根から吸収する成分に影響されず、色は変わらない…
ということだそうです。
制作の裏側
アジサイのあの大ぶりな花(装飾花)を咲かせるためのエネルギーは、相当なものが必要であろうことは容易に想像できます。
そのため、栄養の製造工場である葉っぱも、それなりにしっかりしたものでなければならないはず。
確かに、大型で肉が厚く、鋸歯も深く、葉脈もはっきりとしていて、力強い生命力を感じさせてくれます。
そんな葉っぱになるよう、花以上に時間を割いて描きました。
(作品データ: 透明水彩 15号 アルシュ紙 中目)
5月はそのものズバリ、「若葉」と題した一枚をご紹介します。
何年か前に登った御在所岳(1,212m)の、北側展望台から眺めた景色で、眼下一面に広がる若葉の黄緑色が強く印象に残り描いたものです。若葉の正体はミズナラでした。
ブナと同様、冷涼な気候を好むミズナラは、関西地方では標高800mくらいから上の山地帯で見られます。
深い切れ込みのある大きな葉っぱ、大型のドングリ、材は堅く緻密で幹肌はシルバーに輝く、一見して風格を感じさせる樹木です。
また、葉は虫の餌として、ドングリは鳥や獣の栄養源として、森の生態系を維持するうえでも重要な樹木であると言えます。
制作の裏側
画面の80パーセント以上を占める黄緑色のゾーンを、単調な色使いにならないよう、また、ミズナラの森であることをわかってもらえるよう、鋸歯を描き込む努力をしました。
(作品データ: 透明水彩 15号 アルシュ紙 中目)
4月のこの一枚は「春爛漫」と題して、桜をご紹介します。
新元号が決まり、世間は祝賀ムード一色となりました。そんな時期に桜ほどピッタリの花はないですね。
江戸時代の国文学者である本居宣長は……
「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂う 山桜花」と詠みました。
ソメイヨシノ全盛の今と違い、その頃は、桜といえば山桜が観賞の中心になっていたものと思われます。
さて、日本の桜の80%はソメイヨシノだそうですが、人気の秘密は、葉が出る前にピンクの花が咲き揃うというエドヒガンザクラ(母種)の特長と、大きくて整った花付きの良さというオオシマザクラ(父種)の特長を併せ持っていることから、一斉に咲くと見事な景色となって、人々の心を魅了してしまうから、ということになるのではないでしょうか。
制作の裏側
水彩画の場合、白の部分は絵の具を使わないで、塗り残して画用紙の白を活かすことが多いのですが、桜の花のように 小さなものの集合体は、塗り残すなどという作業は至難の業です。そこで登場するのが、不透明水彩絵の具(ガッシュ)です。これだと、他の色の上に白を塗ることができ、作業がやりやすくなります。
とはいえ、膨大な数の桜の花を一輪一輪描いていくのは、大変根気のいる仕事です。それだけに、豪華絢爛な満開の桜が完成したときの達成感は、他に代え難いものがあります。
(作品データ: 不透明水彩(ガッシュ) 30号 アルシュ紙 中目)
3月のこの一枚は「春の妖精」と題して、カタクリをご紹介します。
春まだ浅い里山の林床に、落葉をかき分けいち早く顔をのぞかせる小さな軍団がいます。
セツブンソウ、イチリンソウ、ニリンソウ、アズマイチゲ等々。
そして、今月の一枚の「カタクリ」もその一員です。
落葉樹林の樹冠が繁り切らないうちに、陽光がよく射しこむ林床に姿を見せ、葉を広げて光合成をし、花を咲かせ、種を実らせ、樹冠が繁ってくる頃にはもう地上から姿を消しているという早業を駆使して、この後長い休眠に入るという、このような生き方をしている植物群は総称して「スプリングエフェメラル」と呼ばれています。
エフェメラルは「短命の」を意味するギリシャ語の「エフェメーロス」に由来するとされています。
そして、「スプリングエフェメラル」は「春の妖精」と和訳されていますが、日本人の感性が盛り込まれた、なかなかの名訳だと思います。
ちなみに、カタクリの花言葉は「初恋」「寂しさに耐える」だそうです。
制作の裏側
地面からせいぜい10cm程度の草丈で、花の大きさも2~3㎝の小さな植物を、30号の画用紙に描くとなると何倍に拡大されるのか?
巨大なカタクリになってしまったら「春の妖精」のイメージから外れてしまうのでは……と思いながらも、カタクリの可憐さをそこなわないよう、柔らかい色使いになるよう心がけながら制作しました。
この作品をある美術展に出展したところ、審査員が開口一番、この作品の作者は20代のうら若き女性かと思った、とのコメントがあったことを後日談で知りました。古希を越えたオッサンで大変失礼しました(笑)
(作品データ: 透明水彩30号 ワトソン紙 中目)
2月のこの一枚は、題して「艶葉木(つやばき)」です。
艶葉木とは、ツバキの古名で、また、厚葉木(あつばき)とも呼ばれていました。それがいつしか変化して、現在のツバキと発音されるようになったといわれています。
昔の人は、葉の「艶」や「厚さ」に着目して名前をつけたということでしょうね……。
ツバキといってもその品種は 今や2千種を越えるといわれていますが、日本の自生種は原種のヤブツバキです。
さて、昔の人が着目したツバキの葉の「艶」と「厚」には大きな意味があったのでしょうか?常緑樹であるツバキは冬でも葉を落とさず、弱い光でも光合成ができるよう、葉を厚くしてたくさんの葉緑素を保有する必要がありました。 また、冬の寒さや乾燥、夏の熱気などから大事な葉っぱを守る必要がありました。そのため、表面にクチクラ層という保護膜が形成されています。これが「艶」の正体。
1年中無休で働かなければならない葉っぱには、「艶」と「厚」という手厚い投資がしてあるというわけです。
光合成が科学的に解明されていない大昔、人々が赤い花よりも緑の葉に着目した理由は何か、聞いてみたくはありませんか?
制作の裏側
タイトルを「艶葉木」としたために、花より葉の方が主役のイメージになりました。そのため、タイトルに恥じないよう、花よりも葉を描く方に多くの時間を割きました。
光の反射で艶々とした表面を表現するのに、葉の一部を塗り残し、絵の具が乾かないうちに、濡れた筆で塗り残しと絵の具の境界をなぞってボカす、という作業を葉っぱ一枚ずつ、すべての葉に施しました。なかなか根気のいる作業です。
さて、この一枚が、「艶葉木」のタイトルにふさわしい作品になっていれば良いのですが……。
(作品データ: 水彩15号 アルシュ紙 中目)
1月は「神のおわす山」と題して、雪を冠した伊吹山を選びました。
日本百名山で滋賀県の最高峰、標高1377mの名峰は、また、花の山としても人気が高く、毎年多くの登山者、観光客を集めています。
伊吹山を語る題材は数え切れないほどですが、その中で、昭和2年(1927年)2月に記録した積雪量1182㎝は、有人観測史上世界一であり、その記録は未だに破られていないそうです。
この作品の元となったスケッチを描いたのは、2011年2月、米原市入江地区の湖岸に近い田んぼの畔にて。
真っ白な雪を戴いた伊吹山は、まさに「神のおわす山」にふさわしいオーラを発し、輝いていました。 (作品データ: 水彩30号 ワトソン紙・中目)