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滋賀森林インストラクター会ホームページへようこそ

滋賀森林インストラクター会は、滋賀を中心に多様な森の魅力を紹介し、皆様が森に親しみ、つながりを深めていただくため、各種イベントの開催や森林環境教育の講師派遣など、森に関する様々な活動をしています。当会は、平成6年4月に設立され、現在33名の会員が、県下各地で活動を展開しています。イベントに参加したい
、森で楽しみたい森で学びたい森でいやされたい森を守りたい・・・そんなときは、是非私たちに声をかけて下さい。   (青地 をクリックすると内容がみられます。)

森林インストラクターは
(社)全国森林レクリエーション協会が実施する資格試験に合格した者で、自然と森林の仕組み、森林づくりと林業、野外での活動、教育の方法安全対策のすべてについて、一定レベルの知識を有する「森の案内人」です。

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代表者  会長 高橋 優
今月の一枚 (2024.04)
                            佐々木 建雄(第3代会長) 

4月のこの一枚、今月は「里の祈り」と題してお送りします。
お多賀さんでおなじみの多賀大社の近く、湖東平野の広がる一画に、かつて12本のケヤキの大木があり、地元の人や通行する人々に親しまれていたそうです。
ところが、樹齢とともに衰弱した木が枯れていき、現在は2本だけが何とか残っている状態です。
作品にしたのは、そのうちの「男飯盛木(おとこいもろぎ、又はいもりぎ)」と名のついた1本で、田園風景のなかにポツリと立っています。
特徴のある樹形で、ぱっと見には、牡鹿が地面に座り首をもたげている、といったところでしょうか。
幹回り6.32m、樹高15m、樹齢推定300年以上とのこと。
地元の人たちにより、大切に保護されているそうです。
言い伝えによると…
奈良時代の養老年間、元正天皇が病気で食欲がなくなって多賀大社に平癒の祈願があった。
神域に生えていたケヤキで作った杓子で強飯を盛って献上したところ、めでたく病気が治ったという。
その杓子を造った残り木を地面にさしたところ根付いてケヤキの巨木となり、飯盛木と呼ばれるようになった…ということですが、奈良時代に根付いたケヤキが樹齢300年ということはないので、残りの1000年は何度か代替わりをしたのでしょうか?
ところで、この牡鹿に似た「男飯盛木」は、何かを祈っているようにも見えます。
すでに枯れてしまった10本の仲間の冥福を祈っているのか、周りの田畑の五穀豊穣を祈っているのか、いずれにしても、多賀大社のおひざ元で、里の平穏無事を祈っていることは間違いないでしょう。。


※ 制作の裏側
この男飯盛木を見に行ったのは、芽吹き前の季節なので、樹形をはっきりと捉えることができました。
葉が繁ってしまうと、牡鹿のような姿として認識できなかったかも知れません。
樹木は葉が繁った盛んな姿が本領なのでしょうが、この男飯盛木に関していえば、葉のない姿の方に軍配をあげたいと思いました。
(作品データ:水彩F4号 MARUMAN  透明=W&N)

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